ドラクロワ「サン=シュルピス聖堂聖天使礼拝堂壁画」研究―126―――写真の視点から――研 究 者:島根県立美術館 学芸員 柳原一徳はじめにフランス・ロマン主義を代表する画家ウジェーヌ・ドラクロワ(1798−1863)は、印象派へとつながる近代絵画の創始者として捉えられる一方、西洋絵画の伝統を受け継ぐ最後の画家と言われる。このことはわれわれを、近代におけるジレンマ、すなわち「伝統」と「同時代性(=近代性)」の相克という困難な問題に導く。本稿では、ドラクロワ最晩年の作品、サン=シュルピス聖堂聖天使礼拝堂壁画を取り上げ、そこに見られる伝統と同時代性のせめぎ合いについて考えていきたい。この壁画はドラクロワ芸術の精髄が込められた最高傑作のひとつである。事実、この作品についてはこれまで夥しい数の論考がなされてきた(注1)。それらさまざまな著述家や研究者たちが述べてきたことの多くは、過去の巨匠たち(とりわけラファエッロ)との比較やドラクロワの色彩表現の革新性などについてであり、典型的にだが、これまでの議論において見過ごされてきたと思われる視点がある。それは当時ドラクロワが関心を持っていた写真との関係である。この「写真」という視点を導入することにより、この壁画における光の表現の持つ意味や、主題の選択に関する問題を解き明かしていきたい。そうすることによって、伝統を無視することができない壁画という媒体に刻まれた同時代性の印が浮かび上がるはずである。ラファエッロ=伝統との対決サン=シュルピス聖堂聖天使礼拝堂壁画は1849年にフランス政府から注文を受け、1861年に完成した。天井と東西両壁、三つの壁面を飾る主題は《悪魔を退治する聖ミカエル》(以下「聖ミカエル」)〔図1〕、《神殿を追われるヘリオドロス》(以下「ヘリオドロス」)〔図2〕、《天使と闘うヤコブ》(以下「ヤコブ」)〔図3〕である(注2)。この壁画群を眺めると、誰もが思い浮かべるように、「聖ミカエル」と「ヘリオドロス」はラファエッロとの関連が強い。彼の《聖ミカエル》(1518年、ルーヴル美術館)、《ヘリオドロスの追放》(ヴァチカン宮「ヘリオドロスの間」)を意識しているのは間違いないであろう。実際、ラファエッロ作品との並行性には同時代の批評家たち「伝統」や「同時代性(近代性)」の問題を反映している。
元のページ ../index.html#136