―4―れが著しいことから(特に第三巻の巻末挿絵《牧歌的風景》)、ティエポロの《ドリンダ》と同様、別な本に使用されたものを転用した可能性が高い。同様にピカールも既に没していることから、転用の可能性が高い。ヴェローナで出版しながらパリ出版を偽装するトゥメルマーニの戦略と見なすことができよう。一方で1742年版の挿絵には全体的に牧歌的な雰囲気が漂っており、ミルトンの叙事詩の本質である深刻なテーマは必ずしも挿絵には反映されていない。例えばサント・ピアッティが原図を制作した第二巻の巻頭挿絵《考えるサタン》〔図2〕は、一見サタンが居眠りをしている場面かと思わせるほど、サタンの狡猾さや悪意、恐怖を与えるような悪魔的な表現は全く認められない。その中で唯一第十巻の巻頭に挿入されている《罪と死》は、物憂げな「罪」と喜びもしくは狡猾な考えでまさに動き出そうとしている「死」とが交わす怪しげな会話の心理を見事に描き出している。こうした描写は他の挿絵には全く見られない要素で、たとえティエポロ自身の素描技法そのものを辿ることが難しいにせよ、その図像的内容および構図には他の作家とは全く異なる意図が働いていることがわかる。しかも特殊な主題のため版の転用の可能性は皆無に等しい。従って、同時に原図の制作年代は出版事情を考慮するとほぼ1735−1740年の間に限定される。第十巻のティエポロ原図による挿絵の図像的特殊性1742年版『失楽園』第十巻の巻頭版画《罪と死》は、それぞれ、腰に蛇をまとい眼の上に額に目隠しの鉢巻を巻いたかに見える裸体の若い女性の全身像と、頭部に仮面をかぶった座る骸骨で表され、背景には大鎌と石の建造物が描かれている。女性は左腕を伸ばし左方をはっきりと指さし、座る骸骨は女性に抱きつくようにしながら恰も何かを話しかけているように見える。版画そのものはフランチェスコ・ズッキの技法の特徴をよく示しており、明確な輪郭線を引かずに精確で緻密なハッチングと点描の組み合わせで描き出されている。場面左右の装飾には、向かって左には弓と矢そして大鎌が、右には熊手が植物装飾と組み合わせて描き出されている。そもそも、ミルトンの『失楽園』において「罪」と「死」の図像は、地獄の門の前に座る怪しげな怪物として、それぞれ第二巻650−656行および666−668行で語られる。そこで「罪」は腰まではうら若い女性ながらその下は致命的な牙を持った蛇になっており、腹部にはケルベロスのような犬がおり、吠えながらも邪魔されると胎内に潜り込みそこで吠えているという。一方「死」は体の部分といえるものはなく、夜のように黒々とし、頭には王冠を戴き、槍を手にしているものとして描写されている(注13)。こうした描写は1688年ロンドン版のマイケル・バーギスの挿絵においては忠実に再現されており、ジ
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