鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
148/589

―138―(注4)。びそれらに対する黒田の関わりを中心に記述する。そのために、まずロート作品の紹介の場となっていた二科美術展覧会(以下、二科展と表記)の海外作品陳列を概観し、続いてロート作品に対する批評を分析する。その上で、ロートに多くを負っていた黒田自身がどのように評価されていたのかについても、検討を加えたいと思う。1.二科展における海外作品陳列そもそも、文展洋画部における二科制導入運動を発端として創設された二科会は、石井柏亭や正宗得三郎といった滞欧経験者が数多く参加していたこともあり、ヨーロッパの新思潮に共感を寄せるところが大であった。それゆえ彼らは、第3回展(1916年10月)で正宗および西澤幾次郎の所蔵するマチス作品を展示したのを皮切りに、第7回展(1920年9月)ではジェレニエウスキーら、第8回展(1921年9月)ではザッキン、ブブノワ、ブルリユークらの出品を実現させるなど、海外の同時代美術の紹介に努めてきた。そして1923年10月、第10回展を記念して行われた「特別陳列(佛國現代畫家作品)」(以下、「特別陳列」と表記)は、これら海外作品陳列の集大成であるとともに、これまで紹介できなかったフランスの同時代美術を多数展示する機会として、意欲的に取り組まれたものである(注3)。ちなみに、出品作家はデュフィ、ドラン、ピカソ、ビッシエール、ブラック、ブランシャール、マチス、ロートであったこうした彼らの活動の背景として、1910年代においては未だ雑誌等での複製掲載が主であった海外美術の紹介が、1920年代になると実作品を用いた展覧会によるそれへと移行しつつあった、という点を指摘することができる。まず、1920年9月には、第7回日本美術院展において、岸本吉左衞門および中澤彦吉の所蔵品による「佛國近代繪畫及彫塑陳列」が行われた。次いで、1921年3月には、大原孫三郎の所蔵品による「現代佛蘭西名畫家作品展覽會」が開催されている。これらの展覧会は、いずれも国内のコレクターが所蔵する作品の公開であったが、同じ頃、フランス本国から作品を送致して展覧会を開く動きも現れた。その嚆矢として、画商デルスニスの仕掛けた「佛蘭西現代美術展覽會」を挙げることができる。1922年5月に開かれた第1回展は、フランス大使ポール・クローデルと黒田清輝の尽力により、農商務省商品陳列館で大々的に開催されたこともあって、美術界の話題を一身に集めることになった。デルスニスによる展覧会は、翌年の4月に第2回展が行われ、その後も数回にわたって開催されている。二科会が自らの「特別陳列」を組織するにあたり、これらの展覧会を意識していた

元のページ  ../index.html#148

このブックを見る