―139―のは言うまでもない。彼らの目から見れば、先行して開催された展覧会には大きな欠点が存在していた。そのひとつは、同時代美術の紹介が軽視されている点であり、もうひとつは、(これはデルスニスの展覧会にのみ当てはまる批判であるが)営利目的が顕著な点である。まず、前者については、黒田重太郎が「泰西名家作品展覽會」(1923年8月に開催された三度目の大原孫三郎所蔵品展)に寄せて発表した展評で、「今一つ氣儘な註文を許して貰へるなら、前後三回を通じて全然缺けてゐたと思はれる立體派未來派系統の畫が加へられて、『普遍的に』と云ふ所にあるらしい主催者の意志を一層よく體現せられむ事である」と述べたように(注5)、キュビスムや未来派等、当時の同時代美術が無視されているという不満が少なからず存在していた(注6)。そして、後者については、「特別陳列」開催の経緯について関係者が記した文章に詳しい。例えば、作品の選定や日本への送致に尽力した石井柏亭は、「デルスニス氏は去年賣れた作家のものを特に數多く持つて行つて、去年賣れなかつたものを全く省いたり或は申譯的に極少數を持つて行つたりして居る、其處らがあまり商賣的過ぎる」と記し、「特別陳列」との差異を強調している(注7)。また、山下新太郎も、「特別陳列」の目的があくまでも「専門家の研究資料」を提供することにあり、その内容も同時代フランス美術の紹介に特化されていることを主張している(注8)。黒田もまた、「特別陳列」に関する紹介記事を執筆している(注9)。「日本に於ける反官學主義の運動を、直接間接に助成した二科會は、其第十回の誕辰を迎へるに當つて、世界の美術界の反官學主義的運動に君臨する現代佛國獨立派の代表的な作家に囑して、その卓れた作品を一堂に集めた」という冒頭の一文からは、文展アカデミズムに対抗するという二科会の使命と、真の同時代美術を紹介するという「特別陳列」の意義に対する、黒田の自負が透けて見えるようである。なお、この「特別陳列」を受けて、翌年には在外会員の制度が作られ、アスラン、ビッシエール、ロートが会員に、ザッキンが会友に推挙された。彼らの出品は1930年代初頭まで続けられたが、彼らの紹介役として筆を執りつづけたのは、他ならぬ黒田であった(注10)。2.アンドレ・ロートをめぐる同時代批評同時代フランス美術の紹介を目指して行われた二科展の「特別陳列」において、ピカソ、ブラック、マチスといった20世紀美術の巨匠たちと共に、「世界の美術界の反官學主義的運動に君臨する現代佛國獨立派の代表的な作家」と謳われたロートである
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