鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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―5―Sinは通常イタリア語では男性名詞il Peccato となり、「死」Death は女性名詞la MorteColpa という女性像に変容させ、同時にペトラルカ的伝統を想起させる「死」の図像と組み合わせたものと考えられる(注17)。さらに「罪」が左を指し示している点は、第十巻321行にあるように、彼らの仕事によって完成した地獄から延びる橋が、天上界と地上の楽園に向かって左から通じていることを意味している。つまり、「罪」はまさにこれから向かうべき地上の楽園を指し示しているのである(注18)。しかも彼らはこの地上に未来永劫にわたる住人としてやってきた(注19)。そして実際の活動をはじめる前に最後の決意を交わす。この楽園が失われる瞬間、すなわち人類の運命ャコモ・デル・ポーもホガースもその図像を踏襲している(注14)。しかしティエポロは英語版挿絵を踏襲せず、また第二巻の図像描写にも依拠していない。むしろ彼はチェーザレ・リーパの『イコノロジーア』の図像をここで用いている〔図3,4〕(注15)。そもそも英語原文ではSin およびDeath として記述される、サタンの娘「罪」と「死」をイタリア語に翻訳するに当たって、ロッリはかなり苦労している。「罪」となる。しかしこのままではテキストの図像的整合性が取れなくなることから、ロッリは概ねPeccato およびMorte を用いながらも、内容および図像に直接に関わる記述ではPeccato をColpa という女性名詞に言い換えている。それにより図像的にPeccatoがあくまで女性であることを強調している(注16)。おそらくティエポロ自身も第十巻の記述の整合性をとるため、第十巻に登場する「『罪』、サタンの愛しい美しい娘」という記述を知った上で、リーパが記述する若い男性像としての「罪」Peccato をを決定づける瞬間をティエポロはここで描き出している。このミルトン的描写にティエポロはおそらく大いに感銘を受けたと思われ、同時期の版画《カプリッチョ》では常に原罪とサタンの象徴となるヘビ、死、墓碑、運命がテーマとなっている。また1720年代の作品とは異なり(例えばウディネの司教宮殿壁画、1726−28年)、1730年代後半から1740年代半ばの、アルガロッティとの出会い前夜の色彩的には華やかながら決して享楽的なだけでは済ませられない、ティエポロの描く人物たちの悲哀を帯びた表情を説明する要素として重要なものといえる(例えばサンタルヴィーゼ聖堂の《カルヴァリオの道行き》、1740年頃、カルミネの聖母同信会館天井画、1743年頃)。また1743年に制作された《フローラの王国》のフローラの見せる悲哀感は、ホラティウス的ヴァニタスの表現と相まって、まさにミルトンに裏付けされた人間の運命をアイロニカルに表現していると考えることができる(注20)。

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