鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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注黒田重太郎「立體主義とその中堅作家(全3回)」『中央美術』10−5〜7、1924年5〜7月、2 拙稿「日本におけるキュビスム受容――1910−20年代の批評を中心に」『メトロポリタン美術館■この「特別陳列」は、そもそもサロン・ドートンヌとの交換展として企画された。開催の経緯については、石井柏亭「巴里から二科へ」『中央美術』9−8、1923年8月、100〜101頁、および石井柏亭「二科二十年史」『アトリエ』10−9、1933年9月、23頁を参照。後者によれば、石井にロートを紹介したのは黒田である。■各作家の出品作については、『第十回二科美術展覽會目録』二科会、1923年9月、『二科第十回美術展覽會(画集)』二科会、1923年10月、および『近代日本アート・カタログ・コレクション036二科会目録編第1巻』ゆまに書房、2002年を参照。出品交渉の過程については、石井「二科二十年史」、23頁を参照。■黒田重太郎「倉敷泰西名畫展所感」『中央美術』9−9、1923年9月、139頁。■同様の指摘を、中川紀元は「佛蘭西現代美術展覽會」に対して行っている。中川紀元「舶來美黒田重太郎「アンドレ・ロオト氏とロジエ・ビッシエール氏」『中央美術』9−7、1923年7月、作品の避難を兼ねて大阪、京都、福岡で陳列が行われたが、東京での再陳列はかなわなかったようである。『二科美術展覽會目録』各回所収の「二科會小史」、および黒田「二科二十周年記念録:二科出品の外人作家に就て」、38頁を参照。畑耕一「院展と二科を彷徨して」『中央美術』10−10、1924年10月、99頁。石井柏亭・木村荘八・川路柳虹・前田寛治・太田三郎・鈴木千久馬「二科會作品合評會」『中木村荘八「二科會を觀る――特に會員の諸作につき――」『中央美術』14−9、1928年9月、19萬鉄五郎「二科會鑑賞記」『中央美術』11−10、1925年10月、86頁。―143―■石井「巴里から二科へ」、100頁。■山下新太郎「二科のフランス現代畫」『中央美術』9−10、1923年11月、38頁。黒田重太郎「二科にあらはれた反官學主義の諸傾向」『みずゑ』No.225、1923年11月、17〜23黒田による、二科展の海外作品陳列の紹介記事は以下の通り。前掲「二科にあらはれた反官學主義の諸傾向」、「外國會員の出品に就て」『みづゑ』No.236、1924年10月、6〜7頁、「二科會外人出品に就て」『中央美術』11−10、1925年10月、87〜95頁、「二科外人評」『みづゑ』No.272、1927年10月、2〜4頁、「二科海外作家に就て」『みづゑ』No.284、1928年10月、5〜7頁、「二科二十周年記念録:二科出品の外人作家に就て」『アトリヱ』10−9、1933年9月、37〜39頁。『中央美術』9−6、1923年6月、184頁。なお、実際にはロート、ビッシエールに加えて、アの別の水脈を探っていきたいと思う。展 ピカソとエコール・ド・パリ』カタログ、読売新聞東京本社、2002年、143〜147頁。術如是觀」『中央美術』8−6、1922年6月、54頁。頁。ーキペンコの作品も展示された。央美術』12−10、1926年10月、88頁。頁。〜33、44〜72、38〜64頁。15〜16頁。

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