注Jacobus Typotius, Symbola divina et humana pontificum imperatorum regum I- III(Prague: 1601-1603), インプレーサの定義、及び性質に関しては主として以下を参照。Denis L. Drysdall, The Emblemaccording to Italian Impresa Theorists, Alison Adams, Anthony J. Happer(ed.), The Emblem inRenaissance and Baroque Europe(Leiden- New York- Köln: AMS Press, 1992), pp. 22−32; DrigenCadwell, The Sixteenth Cetury Italian Impresa in Theory and Practice(New York: AMS Press, 2004).■先行研究は以下のとおり。Ludwig Vorkmann, Bilderschriften der Renaissance: Hieroblyphik undEmblematik in ihren Beziehungen und Fortwirkungen(Leipzig, Stuttgart: Niuekoop B. de Graaf, 1923),pp. 41−59; Eliˇska Fuˇciková, Einige Erwägungen zum Werk des Jacopo und Octavio da Strada, in LeidsKunsthistorisch Jaaboek(Delft: Delftsche Uitgevers Maatschappij B. V., 1982), pp. 339−353; ErichTrunz, Wisenshaft und Kunst im Kreise Kaiser Rudolfs II. 1576−1612(Neumünster: Karl WachholtzVerlag, 1992), p. 51−55; Mona Stocker , Regensburger Medaillen auf Maximilian II.(1564−1576)undRudolf II.(1576−1612)in den Symbola des Jacobus Typotius, in Jahrbuch des kunstohistorischenMuseums Wien, Band 1(Wien: Verlag Anton Schroll & Co., 1999), pp.119−150; LubomírKoneˇcny,Mezi textem a obrazem: Miscellanea z historie emblematiky(Praha: Národni knihovna, 2002), p.170−179.■本報告で調査したプラハに現存する手稿本の使用・複写に関しては、カレル大学のL.コネチュニー教授、プラハ国立博物館のP. マセック博士、プラハ美術工芸博物館のR.ヴォンドラチェック博士に特別の便宜を図っていただいた。―151―(rep. Graz: Akademische Druck- u. Verlangsanstalt, 1972).軍との長期の戦いにおける皇帝軍の優越性と勝利の予兆を読み取ることができる。5.結論1590年以降に制作されたオクタヴィオのインプレーサ集は、「長期トルコ戦争」に伴い、単に君主の趣味嗜好のためのみならず、政治的な状況を反映して生産されたものであった。またこの著作は、キリスト教国家全域の諸君主を網羅することで、社会、民族、宗教の異なる神聖ローマ帝国内外の結びつきを強調し、皇帝を中心として体系付けられた共同体の一員としての意識を読者の心性に働きかけることを目的とした。他方、16世紀の宗教的混乱、オスマン帝国の脅威、権力を維持するための外交活動を展開する上でいかに「帝国」を表象するか、という問題に取り組んでいた宮廷芸術家は、複製されたインプレーサ図像を元に、用途に応じて使用された多様な素材をもとに作品を制作し、宮廷における政治的意図を広く普及することに貢献した。このような政治的プロパガンダを目的とするルドルフ宮廷の帝国表象の根幹となるイメージの生産の場が、「ストラーダのムーサエウム」から生み出されたインプレーサ集の手稿本と、後に広範囲に流布した『シュンボルム集』であったのだと言えよう。
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