鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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―157―アーナ図書館所蔵の四福音書(gr. Z540)が「テオファニス福音書」を手本にして制作されたと考えられているため(注10)、ヴェネツィア写本を通して当写本の挿絵プログラムを推測することができる。各福音書冒頭の左頁には、福音書記者マタイ像と「キリストの降誕」、マルコ像と「キリストの洗礼」、ルカ像と「洗礼者ヨハネの誕生」、ヨハネ像と「アナスタシス(キリストの冥府降下)」が描かれていたと考えられる(注11)。さらに、各福音書本文冒頭のイニシャルには装飾が施される。ブフタルの論文(1961年)を嚆矢とする「テオファニス福音書」の写本研究の歴史は浅い。これまで「修道士テオファニスの聖母マリアへの写本献呈」はビザンティン写本における寄進者像という文脈で取りあげられ(注12)、対観表などに見られる擬人像は、類例写本と比較が行われてきた。しかし、福音書冒頭の4人の預言者については殆ど言及されていない。ビザンティン写本の福音書冒頭に描かれる人物やモティーフについては、メレディス、デル・ネルセシアン、辻成史、ガラヴァリスらにより説明がなされてきた(注13)が、「テオファニス福音書」における福音書と預言者との関係について触れているのは、マニオン(注14)のみである。マニオンの専門がビザンティンではないことも理由のひとつと思われるが、当写本の福音書と預言者の組合わせに関する彼女の解釈は妥当とは思われない。本論の目的は、「テオファニス福音書」に描かれる預言者の選択の理由をビザンティン美術史の知見、ビザンティンの福音書写本の伝統を踏まえて考察することである。「テオファニス福音書」の預言者は、福音書冒頭のテクストから説明することが可能なマルコとルカ、テクストからは説明することができないマタイとヨハネに大別することができる。はじめにマルコとルカから見ていこう。マニオンらが既に指摘しているように、マルコ・ルカ両福音書は、福音書冒頭付近に記述される預言者が福音書の扉絵のモティーフとして採用されている。マルコにイザヤが描かれているのは、マルコ福音書の初め(1:2−3)にイザヤ書からの引用が記されているためである。ルカ福音書にザカリアが組合わされているのは、ルカ福音書の冒頭付近に「祭司ザカリアという人がいた」(1:5)とザカリアの記述が見られ、67節以降から「ザカリアの預言」が記されるためである。「テオファニス福音書」のマルコ福音書とイザヤ、そしてルカ福音書とザカリアは、ガラヴァリスが別写本において指摘しているように、福音書の記述に加えて、新約聖書序文(注15)によっても強く結びつけられている(注16)。ここでいう序文は、福音書記者そして福音書の特徴を抽出した紹介的性格のものである。エウセビオスら多くの教父や神学者に帰されるテクストが残っているが、それらはすべて2世紀の教父であり神学者でもあるエイ

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