―159―挙げ、12世紀のビザンティン写本挿絵を解釈しようとするマニオンの説明は妥当なものとはいえない。ビザンティン世界において、預言者エレミヤがどのように受容され、マタイ福音書に組合わされることになったのかを見ていく必要がある。マタイ福音書冒頭に記述される最も重要な事件は「キリストの降誕」である。上述のとおり、福音書記者マタイ像と「キリストの降誕」は、マタイ福音書の本文に向かい合って描かれていた。マタイ福音書と「キリストの降誕」、そしてエレミヤの三者はどのように関連づけられるだろうか。まず、教会祭日の朗読箇所から「キリストの降誕」との関わりを見つけることができる。「バルク書」とは、エレミヤの口述によりバルクが筆記したといわれる旧約聖書の1冊である(注25)。このエレミヤの口述によって記されたバルク書の3章35節から4章4節は、クリスマス・イヴ(12月24日)に朗読される(注26)。「キリストの降誕」と相対して、マタイ福音書冒頭に描かれるエレミヤは、クリスマス・イヴの祭日図像と考えることができるだろう。次に、ビザンティン世界において、エレミヤがどのように受容されていたのかを見ていこう。初期ビザンティン時代、5世紀は多くの公会議が開かれ、キリストをどのように定義づけるかについての論争が繰りひろげられた時代である(注27)。680年の第3コンスタンティノポリス公会議においてキリストの神性と人性、両性の存在が宣言されるまでの一連の論争の中で、バルク書の3章35節以降はキロスの司祭テオドリトス(注28)らの著作に引用された。キリスト論を論じたテオドリトスの代表的な著作である『エラニステス』では、3章38節の「地上に現われ、人々の中に住んだ」という1節が受肉したキリストの降誕を予告すると解釈されている(注29)。その結果、バルク書の著者であるエレミヤを、受肉・キリスト降誕を予告する預言者としてとらえる伝統がビザンティン世界において生じた。エレミヤと「キリストの降誕」との結びつきは、11世紀の同時代写本においても確認することができる。「コンスタンティノポリスのシナクサリオン」(注30)と呼ばれる10世紀頃制作された聖人の短い伝記を集めた聖人暦の、エレミヤの祭日(5月1日)には、「エレミヤは『飼い葉桶に処女から生まれた救世主である子供が生まれたとき、あなたの偶像は揺らぎ崩れ落ちるだろう』とエジプトの祭司に預言した」という逸話が記されている。同様の伝承は、11世紀のパフラゴニア出身の皇帝ミハイル4世(在位1039−1041年)のために制作されたミノロギオン(注31)にも記されている。マタイ福音書とエレミヤは次のように関連づけることができる。エレミヤの口述により記されたバルク書3章35節以降はクリスマス・イヴに朗読される。5世紀以降、キリストの単性論・両性論に関わる論争中、バルク書が引用されることによりビザンティン
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