注雑誌・辞典名はOxford Dictionary of Byzantium(=ODB), Oxford, 1991, vol.1, pp.xxi-xivの略号に従う。スコットランド、ハミルトン公爵のコレクションであった「テオファニス福音書」は、サザビーズ・オークションで、プロシアの図書館によって1882年に購入、1889年に再び売りに出され、1906年にC. W. Dyson Perrinsが取得。1958年に大書肆Marlboroghにわたる。1959年にFelton遺産によって購入され、1960年にメルボルン、ヴィクトリア・ナショナル・ギャラリーの所蔵となる。M. M. Manion, The Felton Illuminated Manuscripts: In the National Gallery of Victoria,―160―世界においてエレミヤはキリストの降誕、受肉を予告した預言者として受容されるようになった。10、11世紀の写本には、エレミヤが救世主すなわちキリストの降誕を預言したという伝承も残っている。マタイ福音書のエレミヤは、ビザンティン世界において、「キリストの降誕」を予告した預言者として受容されていたために描かれたと私は考える。エレミヤが持つ巻物には、かつて銘文が記されていたが現在は剥落して解読できない。「ベリー公の時{書」のエレミヤと同様にエレミヤ書10章12節に基づくテクストが記されていたとマニオンは推測する。しかし、マタイ福音書冒頭に組合わされるエレミヤの巻物には、クリスマス・イヴの朗読箇所であるバルク書3章35節以降に基づく銘文が記されていた可能性の方が高いのではないだろうか(注32)。以上、4つの福音書とそれに組合わされる預言者との関わりを見た。福音書と預言者の結合は一対一のものではなく、いくつかのヴァリエーションが存在する。たとえば、イザヤはビザンティン世界においてキリストの降誕を予告した預言者として名高く、「受胎告知」をはじめ受肉を表象する図像と結びつけられる(注33)。「テオファニス福音書」のマタイ福音書テクスト冒頭の「B」は、イザヤ書(7:14)に典拠を持つ「インマヌエル(注34)のキリスト」で装飾されている。イザヤはマタイ福音書に描かれてもよかった。しかしイザヤでなくエレミヤを選択したのは、イザヤをマタイ福音書に描くとマルコ福音書に組合わせる適切な預言者がいなくなるからではないだろうか。「テオファニス福音書」の4つの福音書に4人の預言者をひとりずつ配するというプログラム上の制約が、預言者の選択とその組合わせに影響を及ぼしたと考えることができる(注35)。「テオファニス福音書」の写本研究は1961年のブフタルに始まるもので、その研究は未だ端緒についたばかりである。小論では福音書に組合わせられる預言者を中心に考察したが、当写本がどこの修道院で制作されたのかなど残る多くの謎については今後さらに考察していきたい。
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