―170―正治、渡辺義雄ら)と、中堅作家(秋山庄太郎、林忠彦、緑川洋一ら)、1957,8年頃に受賞した新進写真家(中村正也、奈良原一高、島田謹介、東松照明)の受賞作をバランスよくまとめ、報道系の写真家(船山克、長野重一、大竹昭二、渡辺雄吉、吉岡専造)による、時事的様相を伝える秀作を加えた構成だと言えるだろう。日本の写真芸術を海外に紹介するに際し、すぐれた写真を選ばねばならないのは当然だが、その基準設定は簡単ではない。国の名前を冠する写真展の場合、被写体にその国独自の伝統的な風物や固有の文化財が期待される。ところが被写体を基準にすると、写真表現の革新性や表現力への評価と相容れない場合が少なくない。海外向けの「日本の写真」には、横浜写真以来の伝統で、型にはまった日本らしさ、日本風物を求める志向が、受け手にも、送り手にも根強くあることは事実だろう。ここでも、さすがに富士山写真は見当たらないものの、依然として「芸者」もしくはそれに類する着物姿の女性像を4名の写真家が出品している。しかし日本に取材した写真だけでなく、メキシコや香港のルポルタージュを敢えて入れた点は注目される。また、渡辺義雄の日本の古建築を極めてモダンに撮ったシリーズは、日本の伝統を新しい視覚で見せる格好の素材だろうし、東松や吉岡のユーモラスな人物描写が、当時の日本人の等身大の表情を伝えたのではないだろうか。新しい造形美と主題を持った、若い東松、奈良原らの作品がここに入ったことの意義は小さくない。全体として、評価できる選定であろう。この選定には、海外向け写真展に要求される矛盾を解決するための工夫が感じられる。写真家の年齢層を幅広くとること、作品としての写真とドキュメンタリー、報道、動物写真など様々な専門性のある写真家を混在させることがその方法である。これによって、日本の写真表現の史的展開を見せながら、写真の機能の多様さを生かしてヴァライティある展示にし、写真の被写体情報によって日本の風土、暮らしなどを身近に伝える、という異質な目的群を同時に実現できることになる。一方で統一感に欠けるきらいがあるのはいたしかたない。作品のクオリティが高く、見ごたえによってそこはカバーできたであろう。ただ、当時最も活躍していた土門拳が含まれていないことには、何か別の理由があったのかもしれない。なお、このコレクションについて、付言しなくてはならないことがある。1959年10月3日から10月30日まで、「第2回ヴェニス・ビエンナーレ国際写真展」が開催され、日本から20作家の約200点が出品されている。ビエンナーレ出品作について、成沢玲川は「日本の第一線プロ作家20人の代表作品245点が、日本写真家協会と日本写真批評家協会の斡旋によって特別出品され、米国から参加したヴォーグ誌、ライフ誌の出
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