―174―鹿島美術財団 注:〈フランス写真協会所蔵日本人写真家作品リストNo.724−4427点(欠番No.129、138)〉が、添付されておりましたが、紙面の都合上、筆者のご了解を得て掲載を割愛させて頂きました。成された)。《Line and Notan》は、日本では《定規》というタイトルで帰国直後の『アサヒカメラ』(1927年12月号)に発表されている。ティーグリッツのサークル内でキーワードとなったことがある。アーサ・タヴが主な提唱者だったが、中山はアメリカ滞在時代(1918−26年)にサダキチ・ハルトマンの肖像を撮影しており、彼からNotanをめぐる理論をきいた可能性がある。モチーフは定規と鍵なので日本的風物は使っていないが、中山はタイトルで“日本的イメージ”を強調したのだろう。彼はパリのサロンで作品を売却したと回想しているが、SFPでは買い上げシステムがなく、恐らく自信作を寄贈したものと思われる。2点は中山帰国後の1933年にローアンヌ(Roanne)のサロンで展示されている。3 結びまだ不明の点も多く、今後の課題としたい。期待していた安井仲治作品は見つからなかったが、野島康三(リストNo.724−4)と中山岩太の貴重なヴィンテージプリントを確認できたのは喜びだった。研究助成に感謝いたします。Notanは浮世絵版画をめぐって欧米で一時注目されたタームで、写真においてもスSFP所蔵作品の同定調査、来歴調査に終始し、内容分析にはいまだ到らなかった。
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