鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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注東山御物をめぐる価値観の継承と展開については以下の論文を参照。 縮図から見た中国絵画史観については以下の文献を参照。■『狩野山雪―仙境への誘い』展図録 大和文華館 1986年■拙稿「妙心寺天球院障壁画に関する一解釈」文部省科学研究費報告書『狩野派を中心とする官■榊原悟「老梅図と山雪」『花鳥画の世界第5巻 瀟洒な装飾美』学習研究社 1981年■林進「狩野山雪の『盤谷図』について」『大和文華』82号 1999年(『日本近世絵画の図像学――184―「長恨歌図巻」(チェスター・ビーティ・ライブラリー)における、玄宗一行が蜀の桟道を行く場面では、重力を無視するように絵巻の上下から山々が迫っており(注19)、呉彬「山陰道上図巻」(上海博物館 1608年)のような明末画の表現からの刺激を想定することができる。又、山雪は作画に当たって、探幽・宗達らも参照した明末に出な存在としての史的位置を確認することができよう。4 本図から見た中国絵画受容の位相山雪が呉彬に代表されるような新渡の明末奇想派の作品から刺激を受けたことは想像に難くない。山雪のマニエリストとしての資質が大いに触発されたであろう。実際版された版本の画像も利用したのは言うまでもない。ただ山雪の関心は新渡画のそうした表現における特質のみに止まらず、正統と仰ぐ過去の和漢の古典との距離を如何に繋ぎ、新たなイメージを創出するかということであったといえよう。島尾新「『東山御物』随想―イメージのなかの中国画人たち」『南宋絵画―才情雅致の世界』展図録 根津美術館 2004年鬼原俊枝『幽微の探究 狩野探幽論』大阪大学出版会 1998年拙稿「江戸時代初期狩野派における中国絵画受容―『探幽縮図』を通して」『遠澤と探幽―会津藩御抱絵師加藤遠澤の芸術』展図録 福島県立博物館 1998年Yukio Mizuta Lippit,‘The Birth of Japanese Painting History: Kano Artists, Authors, Authenticators ofthe Seventeenth Century’, Ph. Dissertation, Princeton University, 2003.拙稿「探幽縮図から見た東アジア絵画史―瀟湘八景を例に」佐藤康宏編『講座 日本美術史第3巻 図像の意味』東京大学出版会 2005年学派の研究』研究代表者辻惟雄 1993年 東京大学文学部内山かおる「山雪と妙心寺天球院方丈障壁画(上・下)」『国華』1195・1196号 1995年北野良枝「天球院上間一の間障壁画に関する一考察―狩野一渓著『後素集』との関連について」『国華』1253号 2000年内山かおる「山雪画の一特質―『寒山拾得図』と『老梅図』をめぐって」『美術史学』12号1990年趣向と深意』(八木書店 2000年)に「山雪『盤谷図』―近世文人画の誕生」として再録)

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