注桑原規子「竹久夢二と大正期の洋画家たち―光風会・フュウザン会・二科会の周辺―」『大正期美術展覧会の研究』(中央公論美術出版,2005)など、近年、竹久夢二再評価の兆しが見られる。 五十殿利治「現代美術の始まりと流れ」『日本美術館』小学館,1997年,990頁■渋谷修「竹久夢二と私」『本の手帖』昭森社,1962年,49頁■和歌山県立近代美術館、宮城県美術館で開催された。『「竹久夢二とその周辺展」図録』参照。■自伝的小説、室生犀星『性に眼覚める頃』(新潮社,1920年)において、図版を描き写すこと■竹久夢二『夢二画集 夏の巻』の巻末には、『夢二画集 春の巻』の読者からの感想が掲載されているが、夢みる人よりとある投書には次のようにある。「あなたの絵がほしさに、毎月色々な雑誌を買つて来ては、切りぬいて帖に張つて独りで楽むでゐました。唯今も沢山持つてゐますよ。あなたの絵からヒントを得ては描きました、写しました。」■天江富弥『夢二と共に』(1977年)には、図書館に通い夢二の図版の掲載された雑誌を写し、―195―で開催された『今日の人形芸術』展では、竹久夢二の人形が近代人形史の先駆けとして紹介されるなど、それまでにない斬新な表現に対する評価の高さがうかがえる(注35)。夢二は初期の革新的な表現から、しだいに大衆から圧倒的な支持がプレッシャーとなり、自分の進むべき道を定められずにいたところがあるが、人形制作においては、そうした周囲が作り上げた夢二像からも自分自身が囚われている絵画の呪縛からも自由になり、精神性をより如実に反映することができたのではないかと思われる。晩年における人形制作は、夢二の感性が時代の先端をいく表現として結実したものとして評価したい。6.結語竹久夢二は多作であり、全ての作品が一定以上の水準を保っているとは言いがたい。しかし、前衛美術運動へ向う若い画家たちを惹きつけたものが夢二の中に確かにあった。個々の作品の質を論じるだけでなく、夢二という画家の総体を捉えることによって、竹久夢二という画家が、新しい時代への変化を象徴していた事実が見えてくる。竹久夢二という画家がなぜこれほどまで人気を得たのか。それを大衆画家として片付けてしまうことは美術史において大きな欠落であると感じている。竹久夢二が支持された要素を拾い上げながら、近現代における美術と社会の構造を問い直していくことができるのではないだろうか。「大衆」と美術との関係に関心を払いながら、美術史における大衆の意義についても検証していきたいと考えている。の快楽について語られている。約400頁の夢二大画集を作り上げたことが記されている。
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