鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
210/589

6西夏時代敦煌の水月観音図研究―200―研 究 者:大和文華館学芸員  瀧1.はじめに甘粛省敦煌、安西地区には敦煌莫高窟をはじめ数多くの石窟が点在している。これらには六朝以降、清時代に至る長い間の芸術活動の軌跡が残されており、中国絵画史上でも大変重要な存在である。その中で、水月観音図は唐代に中原に於いて創始されたとされる図像であるが当初の作例は残らず、敦煌、安西地区の石窟壁画や出土絵画に五代以降の作例が残り、その具体的な内容をうかがうことができる。水月観音の画題は朝鮮半島において高麗時代にも絵画や鏡像に数多くあらわされているものの、中国中原、または敦煌、安西から図像の伝播した様相は未だ不明瞭といえ、今後取り組んでいきたい課題の一つである。敦煌、安西地区及び周辺の石窟壁画に残された水月観音図は五代、宋代、西夏時代以降の三時期に分けられる(注1)。そのうち、五代から宋時代にかけては、水月観音の姿勢に他の尊像からの影響によって多様性が認められるものの、その他の周囲のモチーフに関しては大きな変化は認められない。しかし、西夏支配期に入ると、水月観音図はより広い空間を持ち、そこには僧取経図や雲上で火炎を伴い龍王と考えられる人物群などの多くの新しいモチーフが取り入れられ、全体の様相は以前とは大きく異なる傾向が見られる。図版集が充実してきている現在においても、莫高窟周辺の、特に宋時代以降の壁画については写真の公開がなかなか行われていない現状にある。そのような中、今回、現地に赴いて安西東千佛洞、楡林窟、粛北五個廟石窟、敦煌莫高窟に残された西夏時代の水月観音図について実見、スケッチなどの調査を行うことができた。本稿は中国中原や周辺民族の文化を積極的に吸収し、顕密を融合させた多彩な文物を残した西夏時代の水月観音図を主題とし、ここに報告として調査による考察を述べる。2.水月観音図像の背景初めに、水月観音の図様について概要を記す。水月観音は佛典に説かれた観音ではなく、『歴代名畫記』の記述(注2)によって唐代の画家周|によって図様が創案されたと考えられている。周|の作品は現存しないものの、その後の水月観音図の流行は数々の作画記録や水月観音を詠った詩篇によってうかがうことができる。現存する朝子

元のページ  ../index.html#210

このブックを見る