鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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―205―る。楡林窟第2窟には、主室西壁の門両脇に2図の水月観音図がある。観音は片方は足を伸ばし、もう片方は輪王坐に近い坐法をとっている。どちらも大変広い空間があらわされており、最も大きな特徴は、観音を画面の中心からやや脇にずらし、画面には横方向への広がりとともに、さらに奥へとつづく奥行きを表現しようとしていることである。これにより観音は豊かで潤いのある空間の一部にとけ込み、さらに、善財童子や供養菩薩、僧取経図などと観音との交差する対峙を無理なく治めることに成功しているのである。ただし、北側の図像のように、観音は必ずしも対峙するものと視線を交わさず、斜め上方の月を泰然と見上げている。やはり大画面の水月観音図で、横位に奥へと広がる雄大な空間を描き出す画面に安西東千佛洞第2窟の2図が挙げられる。西夏創建窟である。入り口は東側に開き、窟内後方に頂まで続く柱が立ち、柱の壁面に向かい合うように描かれているために、窟内の場所は甬道と称されているが、南北壁の西側奥に両図は位置する。南壁の観音はなだらかな曲線を描く岩座の上に敷物を敷き、結跏趺坐をややくずしたように足を組んで坐す。上半身はほぼ直立、右手に経冊を持ち、読むように視線を向けている。足下の水上には蓮台が二つ認められる。観音の傍らの岩座上には経箱が置かれ、経冊を三冊載せるなどの新しい要素が認められる。本窟は両図に僧取経図が描かれており、ここでは水流を挟んで対岸には頭光を有する僧侶が合掌し、その後ろに馬の手綱を引いたサル顔の行者が左手を額に付け、観音を見上げるような仕草をして立っている。北壁の水月観音は輪王坐である。両図に共通する特徴は画面に設けられた空間性であり、その他は、雲に乗り、供物を持って官服をまとう人物群が火炎の中に描かれていることで、この図像は龍王をあらわしていると考えられる。最後に、東千佛洞第4窟は第2窟とほぼ同じ窟構成であり、描かれている場所も同じである。しかし、水月観音図は北側の甬道と称される位置、つまり北壁西側奥に1図見られるが、対となる位置には弓矢を持つ密教色の強い観音が配されている。窟内の図像構成はその他、涅槃変、文殊変、四臂観音、曼荼羅などで、全体的に密教色が強い。水月観音図は観音を画面上方に正面向きにあらわし、下方に蓮池、岸をあらわしている。画面下方に向かうにつれて損傷が激しく、図像は大変解りづらい。かろうじて馬を連れた人物の一部が認められるため、僧取経図の一部をあらわしているかと想定される。大円光に包まれた観音は輪王坐であり、傍らには大輪の牡丹を挿した水瓶と、その上方に月が認められる。水月観音図に牡丹の花が添えられるのも、西夏時代の作例に多々見られる特徴の一つといえる。

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