鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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注瀧朝子「水月観音図に描かれた人物群像について」『大和文華』第111号大和文華館2004年 『歴代名畫記』張彦遠撰―206―5.まとめ−西夏時代における水月観音図像の流れと特徴−以上のように各窟の水月観音図を観察してみると、姿勢やモチーフの共通性や画面構成などから、西夏時代の水月観音図の流れを大まかに推定することができる。まず観音の姿勢について述べると、西夏早期の莫高窟第164、237窟は宋代に出現する輪王坐に近い図像が含まれるとともに、西夏時代に入って急増する膝を抱える図像が共通して認められる。前者は楡林窟第2窟及び東千佛洞第2、5窟にも、後者は五個廟第1窟にも描かれる。さらに、やはり西夏時代に新出した、足を緩やかに伸ばし、くだけた姿勢は楡林窟第2、29窟と五個廟第1窟に見られる。水月観音像の大きな特徴の一つであるくつろいだような坐法について、その種類が推移する様相からは、坐法の組み合わせにより、漸次新しい坐法を加えていった様子がうかがえる。また画面の構図に注目すると、やはり流れが浮かび上がってくる。莫高窟第164、237窟は画面が小さいものの、観音を中央に大きく配し、周囲を取り囲むように風景描写の要素を描き込んでいく形式といえる。楡林窟第2窟と東千佛洞第2窟の大画面では観音は画面のどちらか一方に寄せられ、空間の広がりを横位と奥方向により強調した構図が取られる。そして楡林窟第29窟と五個廟石窟第4窟では画面を3層に分け、観音を画面上部中央に大きく配し、下部左右に人物群を置く構図が取られている。横位の広がりとともに奥行きも充分に感じさせる描写である。これはモチーフを三角形状に固定させた大変安定した画面構成であり、3層に分けた明快な情景描写とともに、水月観音図の西夏時代における完成形と考えた。これらから、西夏早期の莫高窟第164、237窟を一群とし、楡林窟第29窟、五個廟石窟第4窟を最も新出の図像とすると、その間に楡林窟第2窟と東千佛洞第2窟、五個廟石窟第1窟が一群として捉えられる。東千佛洞第5窟は構図と窟内の密教色が強い図像構成から楡林窟第29窟などと平行すると考える。本稿では敦煌、安西地区を中心とした石窟壁画における西夏時代の水月観音図を実見調査することにより、その図像と構図、窟内の図像構成から図像の流れと展開を明確にすることを試みた。西夏は周辺国家、民族から多く影響を受けるとともに文化面での交流を行っており、水月観音図像は敦煌、西夏を含めて中国中原、遼、金、高麗との直接、間接の影響関係を探る視点の一つとなると考える。

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