鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
22/589

―12―Room, Inventory and Notesと題された資料で知ることができる。ここには物品ごとに題名、購入日、購入先、購入金額、室内の配置場所、1927年に富田幸次郎(1890−1976)が記した情報(材質、装飾、用途、年代、寸法など)、1961年に付番された美術品番号、そして1971年の競売への出品の有無が記録された。1961年の付番はモザイク敷石修理の際、美術品の移動に備えたものであろう。またTomita M.S. Chinese Roomという資中国室にある東洋の品々はボストン美術館所蔵品と比較すると見劣りがし、この部屋が非公開とされたのもガードナー夫人にはそもそも中国室を美術館の展示室とする意志がなかったからだと推測した。そして岡倉関連以外の品は保存する価値無しと、その売却を主張した。こうして1971年4月中国室の多くの美術品がニューヨークのパーク・バーネット・ギャラリーの競売で売却された(注6)。コレクションは散逸し、美術館に残ったものは岡倉ゆかりの品々、そして売り立てしなかった美術品だけとなった。この時点でガードナー夫人が中国室を開設した動機は、すでに謎に包まれてしまっていたことが窺い知れる。その後中国室の地階部分は警備員室に、一階部分は織物作業室として改装された。さらに1979年作業室はカフェへと変わり、現在に至っている。2.中国室収蔵の東洋美術品中国室のコレクションは、主に1901年から3年の間、すなわち岡倉の渡米以前にガードナー夫人が購入したものからなる。したがって岡倉の影響下で収集されたものではない。まず中国室コレクションの種類と数量について見てみよう。1962年の補修時の記録によれば、室内には小品77点(茶器25、燭台12、仏具5、お供え器4、香炉9、収納箱3、小卓3、花瓶2、大皿2、枕2、鞍覆い2、筆立て1、銅鑼1、菓子器1、太鼓1、酒器1、盆1、兜1、飾り棚1)があちこちに置かれ、木彫品39点、織物31点(刺繍のある掛け物16、座布団2、寺院用掛軸9、法衣2、飾り房2)、木版画24点、扉11点、真鍮製掛け物9点、経机7点、木像7点、寺院旗6点、青銅製仏像6点、屏風4点、ブロンズ像2点、灯篭2点、装飾天井1点、簾1点と岡倉ゆかりの品を納めたキャビネットがあった(注7)。コレクションを構成する個々の美術品の情報はChinese Room, Director及びChinese料には、上記の情報に加えて富田幸次郎による各物品のイラストが収録されている。中国室内部の様子は1961年に撮影された写真で知ることができる。高い天井を持ち、薄暗い空間に仏像や仏具を配置した室内の写真からは、ウェストンが述べた「寺院の雰囲気」を感じ取ることができる。またChinese Room, Directorには中国室の展示物配

元のページ  ../index.html#22

このブックを見る