―213―また今回、柳陰呼舟の図様三面以外にも3図以上の類似作品がある図様を他に2組見出すことができたが(注4)、ここでは引き続き、柳陰呼舟の図様に注目して見ていくこととする。柳陰呼舟の同図様三面については、東博本〔図2〕が他の二面と比べればその筆致に強弱と安定感が見られる。以下この図については、東博本〔図2〕を用いて検討を進めていくこととする。ただし、玉瀾の代表作ともされる便面図巻全十面の評価をめぐっては、実見する機会を得た報告者においてはもう少し慎重に考える必要があると思われる。よりよき筆致の実作が別にある可能性が考慮されるべきではないかと考えるためである。ただし、もともと玉瀾以外の他者によって創作された作品であるとは考えにくく、検討されるべき重要な作品であると考える。本稿の論点の主眼もここにある。なお東博本〔図2〕では全体にほぼ均一に藍を刷いて地を埋め、それ以外に他の彩色は見られず、線はすべて墨線によるものである(注5)。2.『大雅堂画法』の“柳陰呼渡”と題された図人見氏旧蔵本〔図1〕に関して、『大雅堂画法』の“柳陰呼渡”と題された図〔図3〕(京都大学附属図書館蔵)が元にあり、その源泉は『顧氏画譜』中の文伯人画に求められ、『八種画譜』のうち『古今画譜』第22図〔図5〕(注6)に再録されていることが指摘されている(注7)。『大雅堂画法』は、文化元年(1804)に刊行されたもので、天明5年(1785)の皆川淇園の跋によれば、玉瀾が生前秘蔵していた、大雅が玉瀾のために描き残した手本(注8)がその原本となっていることが分かる(注9)。雪月花の全3冊からなるが、雪−第18図〔図3〕は色摺で、柳の葉の描写には墨線に藍の線が重ねられている。画面中央、柳の木の下に手を挙げる人物を描き、その向こうの柳の木の下に舟を漕ぎ進める人物を描いている。『大雅堂画法』の“柳陰呼渡”と題された図〔図3〕と東博本〔図2〕を比較すれば、手前の柳の下で手を挙げ、対岸の柳の下に小舟を描くという共通点が見出せる。しかし細部をよく見てみると、『大雅堂画法』中の図では、手前の人物が背を丸め、曲線的に上方に向かって手を挙げるのに対し、東博本では直立で、腕は曲がらず直線的に舟を指差している。柳の葉の描線も、『大雅堂画法』の図が一筆で描くところを、東博本では少しずつ方向を変えながら葉の質感を表すような描き方をしている。『大雅堂画法』の図が概して簡略なものであるのに対して、東博本は具体的に多くのもの
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