―214―が描き込まれており、例えば柳の木の間に柳以外の樹木を描き、舟を指し示す人物の後方には荷を担いだ従者も描かれている(注10)。『大雅堂画法』の元になったという『八種画譜』のうち『古今画譜』の該当図〔図4〕を見てみたい。この図は「春水断橋人喚渡、柳陰Ü出小舟来」という七言二句の賛を伴う。賛のあとに署名はなく、「令冊之印」と読める印章(白文方印)がある。詩賛の内容を踏まえながら画面を見てみると、手前の人物がまさに渡ろうとしている橋の途中部分が失われているため(断橋)、舟を呼ぶと、柳の陰より漕ぎ進めて小舟がやって来るという図の内容が確認される。この詩賛においては、柳は向こうの小舟の上方にあるのであって、舟を待つ人と対岸の小舟の上の両岸にあるのではないということに注意しておきたい。『大雅堂画法』の図〔図3〕を『古今画譜』の図〔図4〕とを比較してみると、「柳陰」「喚(呼)渡」という画譜の詩賛中の言葉が図中に記されていること、近景の木の陰に手を挙げる人物と対岸の柳の下に小舟を配する構図や、背を丸めて曲線的に上方に向かって手を挙げる様(左右は異なる)などが共通する。一方『古今画譜』の図では画面手前には柳とは別の樹木が描かれるのに対して『大雅堂画法』では両岸に柳を描き、断橋が表されない。遠景が省略され、手を挙げる人物が荷を担がないなどの相違点も挙げられる。次に柳陰呼舟の図様の構成要素を、大雅の実作と実作で借用された画譜に求めてみたい。3.池大雅の実作に見られる柳陰呼舟の図様柳陰呼舟図(米・山荘コレクション)〔図5〕(注11)は、先に見た『古今画譜』第22図の図〔図4)を借用したことが指摘される、大雅20代の筆によると考えられる作品である。画譜を左右逆転して用い、遠山を省略している(注12)。画面左端には、『古今画譜』第22図の賛に見られる「柳陰」「喚(呼)渡」を踏まえたと思われる「柳陰呼舟」の題字が記されている。柳陰呼舟図では、『古今画譜』第22図において担がれていた荷物が足元に下ろされ、一袋であった荷物は二袋に増えており、『古今画譜』の図が対岸のみ柳であるのに対し、両岸に柳を描く。ここで『大雅堂画法』中の“柳陰呼渡”と題された図〔図3〕を思い出してみたい。この図は、柳陰呼舟図を左右逆転した構図に近く、遠景を略し、両岸に柳を描いている。題字を記し、舟を呼ぶ人物は荷を持たず(一方は足元に荷を下ろしている)、舟を呼ぶ姿勢と手の挙げ方、その全体の簡略なモチーフの捉え方も近似する。もう一点、延享2年(1745)、大雅数え年23歳の指墨山水図(山種美術館蔵)〔図6〕
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