鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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―227―からなる平面プランで、同様の図像構成をもつ相似窟である〔図7〕。中堂は、正壁に大悲変相、側壁には毘沙門天を中心とする図像を描き(注14)、誓願図は中堂を廻る回廊の内外壁に配される。この両窟は、中堂に密教図像を、回廊に説一切有部系の誓願図を配しており、異なる仏教系統に由来する図像が一堂内に組み合わされている点において興味深い(注15)。第二に、第18窟はベゼクリクの誓願図を描く窟の中で、唯一の中心柱窟である。正壁は初転法輪図、主室右壁は薬師浄土変相図(注16)、対する左壁も主題は不明であるが浄土変相図(注17)が描かれる。誓願図は主室前壁左右と、側廊入口側内壁に各一図ずつが描かれる。残る回廊部は内外壁とも一面に千仏図が描かれる。当窟においても、中国仏教絵画に由来する大乗の図像と、トカラ説一切有部系の誓願図、また亀茲においても盛んに制作された初転法輪図が組み合わせられている。ただし、この窟が重修を経ていることは千仏部分に古い様式とウイグル時代の様式がみられることから明らかで、今みられる壁画構成は本来のものではない可能性が高い(注18)。薬師浄土変相図はドイツ隊に切り取られ、対の変相図および前壁は損傷が激しく現在では詳細はうかがえないが、今現地で確認し得る正壁の初転法輪図と側廊の誓願図は、ともに太く黒い輪郭線を用いるなど様式が一致し、同時の制作とみてよいと思われる。いずれにせよ、亀茲石窟においては誓願図の原型は中心柱窟に圧倒的に多くみられるのに対し、ベゼクリクにおいては当窟が例外的に誓願図を描く唯一の中心柱窟であることが注意される。最後に、数量が計十窟と最も多いのは、縦ヴォールト天井で幅より奥行きの深い方形窟である。これらの方形窟においては、誓願図はきまって両側壁に配され、また天井に千仏を描くことも共通している。そのうち特に大型で奥行きの深い第31〔図8〕、33窟と、この二窟につぐ規模の第42窟は、窟の中ほどに塔、あるいは台座を設けて主尊を安置し、窟の後壁は塑像と壁画を組み合わせて涅槃図をあらわす。塔や台座は現在ではいずれもほとんど崩れさっている。グリュンヴェーデルが訪れた当時、第33窟ではすでに題材は不明であったが、第31窟の塔は正面に初転法輪図とウイグル王侯供養者像を描き、第42窟の台座は正面に蓮華と寄進者像、側面に虎に喰われる人を描いていたというから、捨身飼虎図であったのだろう。以上の三窟に比較して小型である他の窟は、正壁に主尊をつくり、窟の中ほどに塔や台座を設けない。正壁の主題は、ほとんどの窟で初転法輪である(第22、24、37、38、47、50窟)。例外的に、第48窟においては正壁の主題は帝釈窟説法であり〔図9〕、グリュンヴェーデルはトルファ

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