鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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―228―ン地区における唯一の帝釈窟説法の作例として特記している。さて、この種の窟の壁画構成で注意されるのは、全ての窟において、天井を除く主要壁面が釈迦を中心とする仏伝的題材、換言すれば小乗的題材から成り立っており、回の字型窟と中心柱窟において異なる仏教系統に由来する図像が組み合わされていたのとは対照をなすことである。上にみてきたように、第31、33、42窟とその他の窟では涅槃像をつくる、つくらないの別があるが、涅槃像をつくる三窟は大型でその他の窟は比較的小型であること、また第31窟の本尊が釈迦の初転法輪像である点は小型窟のグループのほとんどと共通することを考慮するならば、小型窟のグループは大型窟の省略形であり、同じ理念に基づいているとはいえまいか。ところで、熊谷宣夫氏は第31窟について、窟のプランは単純化した中心柱窟で、方形柱をめぐって最も奥壁に釈迦涅槃像を置くことは、キジル以来の伝統であるという(注19)。確かに、キジル石窟をはじめ、亀茲石窟の中心柱窟においては中心柱の後部空間、窟の最奥に涅槃像を塑像あるいは絵画であらわすことが常套である。しかしここでは、ベゼクリクにおいて亀茲石窟の伝統を継承するのは第31窟など涅槃像を置くプランに限らないことを指摘したい。典型的な亀茲石窟の題材は、釈迦の本生・本行・因縁譚に取材し、釈迦牟尼を集中的に表現していることはよく知られている(注20)。これはベゼクリクの誓願図を描く長方形プランの窟が、なべて釈迦の仏伝的題材の壁画で構成されていることと一致する。ベゼクリクでは誓願図という画題ばかりではなく、釈迦を中心とした壁画構成の理念も亀茲石窟から継承したのではないだろうか。ただし、本尊をみていくと、ベゼクリクのこれらの窟では本尊が主には初転法輪像であるのに対し、典型的亀茲石窟では帝釈窟説法である。しかし、一作例のみではあるが、ベゼクリク第48窟正壁が帝釈窟説法図であることは先に見たとおりである。第48窟はベゼクリクの壁画を描く窟群のなかでは北端の位置にあり、年代は相対的にみて遅れると考えられる(注21)。ベゼクリクの晩期に、諸処に図像の崩れは認められるがそれでもなお亀茲石窟の図像を継承することが明らかな帝釈窟説法図が制作された事実はもっと注目されてよい。結語トルファンの誓願図の作例は、大半がベゼクリク石窟に集中している。それはベゼクリクがウイグル時代に大々的に改修・造営された大規模石窟で、保存状態が比較的

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