鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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―14―これらの展示物は先の諸資料から詳細な情報を得ることができる。例えば仏像Ⅰは釈迦牟尼仏坐像(中国、17世紀、青銅製、高さ6’11−1/4”)で、1902年山中商会から仏像5体とともに購入した。その5体とは、仏像Ⅲの薬師如来坐像(中国、18世紀初頭、青銅製、高さ6’9−1/2”)、仏像Ⅳの釈迦牟尼仏坐像(中国、18世紀初頭、青銅製、高さ6’11−1/4”)、仏像Ⅴの阿弥陀如来坐像(中国、18世紀初頭、青銅製、高さ6’8−1/2”)、道教像Ⅵの関羽像(中国、18世紀中期、青銅製、高さ5’11−1/2”)、14の十一面観音菩薩坐像(中国、18世紀初頭、青銅製、高さ46−1/2”)である。また仏像Ⅱは十一面観音菩薩立像(日本、鎌倉時代、木像、像の高さ5’9”、台座の高さ15−3/4”)で購入先は不明である。このように上記の諸資料の分析を通して、当時の中国室の展示内容や個々の美術品を把握することが可能である。3.中国室に納められた岡倉覚三の記憶ガードナー夫人は中国室に岡倉との思い出の品も納めた。そのひとつは1905年9月に岡倉から送られた茶道具である。道具類は鉄釜と唐銅風炉、 鉄製火箸、■真塗敷板、■陶製灰器、■灰さじ、■竹製茶杓、■銅製蓋置、■青と白の染付水指、乾山作茶碗(夏用)、静斎作黒楽茶碗(冬用)、陶製建水、陶製茶入れ、与斎作黒棗(仕覆付き)象牙製茶杓、茶筅、錫製菓子器、楽吉兵衛作陶製香合、 黒漆香炉、■一輪挿し、 銅製茶巾盥、■ふくさ、■羽ぼうき、■釜敷(小)、■練香「梅花香」であった(注10)。岡倉は「私の思い出にお持ち下さい」と書いた手紙を茶道具に同封したが、ガードナー夫人はその言葉を順守したのである(注11)。また室内の経机(21)に置かれた二つの座布団も、岡倉がボストンで使ったものをガードナー夫人に贈ったものであった。このうちのひとつはある茶人が使用していたものを、別の茶人の手を通り岡倉が入手したものだという(注12)。中国室にはほかにも岡倉がボストンで愛用した私物や友人から贈られた品が納められた。それは岡倉の写真(於ボストン、1904年頃) 岡倉の写真(於日本、1910年頃)、■日本美術院開院記念絵葉書セット、■雑誌『日本美術』、■赤倉「岡倉先生終焉之地」の写真、■岡倉の弁当箱(桐製、漆塗りの引き出し三段、茶碗2点、1875年)、■岡倉の蓋付き飯茶碗(ボストンで使用、永楽十三代作、1905年)、■岡倉の翡翠茶碗(ボストンで使用、中国製、18世紀後期)、小さな木製パゴダ(五浦の岡倉の墓地で集めた梅花を収納、法隆寺僧院由来の古い木材で作成、1922年)などである。これらは茶道具類、香炉などとともにキャビネット(20)に納められた(注13)。これらの品のうち、雑誌『日本美術』は、岡倉の特集記事を載せた第176号で、

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