9時宗成立期の本尊―234―――阿弥陀像に関する研究――研 究 者:神奈川県立歴史博物館専門学芸員はじめに一遍上人〔延応元年〜正応2年(1239〜1298)〕を宗祖に仰ぐ時宗(中世期その集団は時衆と呼ばれた)において、その教団としての実際の成立期とは、事実上の開祖といわれる二祖他阿真教〔嘉禎3年〜文保3年(1237〜1319)〕から遊行派(主流派)の祖といえる四代他阿呑海〔弘長2年〜嘉暦2年(1262〜1325)〕に至る間頃と考えられ、それは13世紀末から14世紀前半の時期にあたる。云うまでもなく浄土教の一派である時宗では、浄土三部経を教典とし『阿弥陀経』を最所依経として阿弥陀仏を本尊とした。ただし初期の一遍の率いた時衆では、「南無阿弥陀佛」の六字名号を念ずることに専修し、尊像としての阿弥陀木像を崇拝することに否定的であった。つまり本尊としては六字名号の書を掲げた。一遍は既に存在し礼拝されている尊像の否定はしなかったが、新たに阿弥陀仏像を造ることは行わなかったとみられる。一遍没後、瓦解の危機にあった時衆をとりまとめたのは他阿真教である。彼の統率により時衆はあらたな組織としての出発を果たした。他阿真教も名号重視の姿勢を堅持したが、一方、時衆の止住(遊行をやめ道場などに定着すること)を認め、道場・寺院の建立を容認する姿勢をしめした。その結果、真教在世時の正和5年(1316)には『七条文書』に「既に道場百所許りに及び候ふ」と記すように、道場開設は全国に拡がった。実際、二祖他阿真教結縁ないし開山と称す時宗寺院は今日でも数量的に群を抜いており、真教時代に時衆教団の基礎が出来上がったことを如実に示している。こうして開かれた道場寺院には他阿真教が、本尊として名号だけでなく木像も容認したため阿弥陀仏像がふつうに祀り始められたとみられる。今日、二祖他阿真教およびその次世代である遊行四代呑海、さらに遊行派の主導安定期に入る六代一鎮〔建治3年〜文和4年(1277〜1355)〕あたりまでの時宗教団形成の時期に開かれた寺院の本尊像の種類・形式を概観しデータをとってみると、そのおよそ六割程度の像が像高80弱〜100強センチ程度の、いわゆる三尺阿弥陀立像(来迎形独尊・三尊像中尊)であることがわかる(注1)。筆者は、このことから多少粗い分析ではあるが、時宗成立期におけるもっとも通例であった阿弥陀本尊像とは、三尺阿弥陀立像ではなかったかとの推測をしている。薄井和男
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