鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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―236―阿弥陀仏を名乗る12世紀最末頃の快慶作三尺阿弥陀としては早い時期の作例とみられる。当寺は永仁5年(1297)二祖他阿真教の開創を伝える寺。ここに時宗開宗以前の快慶作例があることは時宗本尊像を考える上でも重要とみられる。①−2:宮城県仙台市・阿弥陀寺本尊像は像高78.3センチの小振りの三尺像で、寄木造、玉眼嵌入、もと金泥塗りか、左足éに「承久三年二月日作佛僧宗賢」の陰刻銘がある。形式・作風とも快慶作例を忠実に踏襲した秀作であり、承久三年(1221)は造像銘とみられる。当寺は弘安3年(1280)一遍上人に帰依した伊達正依により当初、伊達郡梁川に立てられ、近世に入り現在地に移転したと伝える。時宗成立以前の作例である。①−3:滋賀県西浅井町・阿弥陀寺本尊像は像高98.7センチの標準的法量の三尺像で、割矧造、玉眼嵌入、漆箔。右足é外側に「巧匠法眼行快」の墨書があり、仏師快慶の高弟、行快の作と判明する。また像内納入願文に文暦2年(1235)の年紀があり造立年代も判明する。像の着衣形式は師匠である快慶のいわゆる安阿弥様に属するものであるが、より装飾的な処理がみられ、快慶法眼時代作を発展させたような印象である。また、意志的な面貌表現に行快の個性表現が強くみられるのも特徴である。阿弥陀寺は文和2年(1353)、遊行七代託何上人の開創になる菅浦の中心的寺院ある。本像もまた時宗開宗以前の阿弥陀像で、おそらく託何上人の肝入りによって、この一流作が本尊に迎えられた可能性が考えられる〔図1〕。①−4:神奈川県鎌倉市・教恩寺本尊像は像高98.8センチ。一具の脇侍菩薩を伴う三尊像の中尊である。割矧造、玉眼嵌入、もと金泥塗りか。引き締まった体躯、切れ長な眉目など快慶作品に非常に近い本格的作例である。着衣形式は、左右の襟を単純にたくし込んでいて、快慶作品の前半期のものに準拠している。本像は源頼朝が捕らえた平重衡に授与した像との伝説をもつ。作風的にも13世紀の早い時期の制作とみられる。これも時宗成立以前の作例である〔図2〕。①−5:滋賀県木之本町・浄信寺庫裡、内仏は像高78.1センチの小振りの三尺像である。ヒノキ材の割矧造で玉眼嵌入、漆箔である。着衣形式は、左肩を覆う衲衣と右肩を覆う偏衫を着け、偏衫が単純に衲衣にたくし込まれる形をつくる。安阿弥様の範疇におさまる作例である。やや棒立ちの全体形、煩雑に走った衣文表現などに快慶時代よりの下降をしめす。しかし慶派らしい引き締まった面貌などからみて13世紀中葉までの時代枠には入る作とおもえる。時宗成立以前の作例である。①−6:滋賀県木之本町・浄信寺の蔵、納安像は像高82.5センチの小振り三尺の像である。現在近世の脇侍菩薩を従える。ヒノキ材の割矧造で玉眼嵌入、漆箔。着衣形

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