―237―式は先の庫裡像と同じく安阿弥様で、忠実度は本像の方が本様に近い。ただ右腹前で偏衫がややたるみをつけて、衲衣にたくし込まれるなど発展したスタイルをしめしている。面貌の緊迫感などに緩みが見え、制作時期は庫裡像よりくだる13世紀後半とみられる。浄信寺は木之本地蔵の名で広く知られる古刹、京都四条派浄阿上人が結縁して時衆道場寺院となった。像は一応、時衆活躍期にはいる作例。①−7:愛知県半田市・光照寺本尊像は像高78.2センチ、小振りの三尺阿弥陀像である。ヒノキ材の割矧造で玉眼嵌入、漆箔である。着衣形式は、衲衣と偏衫を着け、偏衫が単純に右腹前で衲衣にたくし込まれる形をつくる安阿弥様の作例である。衣文表現に形式化が目立ち、やや緩んだ面貌表現などに快慶時代よりの下降をしめす。制作は13世紀中葉から後半にかかる頃とみられる。当寺は興国3年(1342)照阿開創、もと四条派〔図3〕。①−8:静岡県浜松市・妙光寺本尊像は像高76.7センチの小振りの三尺像である。割矧造で玉眼嵌入、漆箔。着衣形式は、衲衣と偏衫を着け、偏衫が右腹前で衲衣にややたるんでたくし込まれる形をつくる。安阿弥様を基本とするが形式化が目立ち、快慶時代よりの相応の下降をしめす。制作は作風的に13世紀末頃とみられ、当寺が正安3年(1301)他阿真教の結縁により、覚阿を初代に開かれたことと関連が認め得る。一応、時宗成立期の作例といえようか〔図4〕。②安阿弥(快慶)様に属しない三尺阿弥陀立像の作例②−1:神奈川県鎌倉市・光触寺本尊像は像高97.5センチ、一具の脇侍を伴う三尊像中尊である。割矧造とみられ玉眼嵌入、漆箔。着衣形式は、左肩を覆う衲衣と右肩を覆う偏衫を着け、衲衣が右肩の偏衫の上に懸かってから正面にまわる。腹部から下半身にかけての衣文の形状は安阿弥様と同じくY字形につくる。太造りの体躯、引き締まった面貌など運慶様の作風をもつ。快慶様と違う系譜の鎌倉初期三尺阿弥陀立像の代表作例のひとつ。当寺は弘安5年(1282)一遍上人結縁、開山作阿と伝え、当像は当然、時宗教団成立以前の作例である〔図5〕。②−2:新潟県三条市・乗蓮寺本尊像は像高77.9センチの小振りの像で、割矧造とみられ、玉眼嵌入、漆箔。着衣形式は右肩で衲衣が偏衫にかかり、その他、僧祗支を着けて衲衣・偏衫が各所で弛む装飾的な衣文表現などに特徴がある。安阿弥様に属さないこの手の作例の最も進行した形式といえよう。作行きは優れているがやや棒立ちの体躯などに時代の下降がみてとれる。13世紀中葉頃の作であろうか。当寺は徳治2年(1307)他阿真教弟子蓮阿の開創と伝え、像の制作時期と時間的にややずれがある
元のページ ../index.html#247