鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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―238―〔図6〕。〔図9〕。②−3:岐阜県垂井町・金蓮寺本尊像は像高78.2センチ小振り三尺像で、後補の脇侍を伴う三尊の中尊像。割矧造、玉眼嵌入、金泥塗。着衣形式は、前述の新潟県三条市乗蓮寺像と同様の装飾的なもので、さらに左胸前に渦巻文をつけるなど技巧がすすんでいる。バランスよい体躯、引き締まった面相など慶派系の作風の濃い秀作である。制作は13世紀中葉とみられる。金蓮寺は遊行十一代自空上人の開創と伝え像の制作時期はだいぶ早い〔図7〕。②−4:愛知県碧南市・称名寺本尊像は像高76.0センチの小振り三尺像で、割矧造、玉眼嵌入、肉身部金泥塗。着衣形式はやはり、右肩で衲衣が偏衫にかかり、僧祗支を着けて衲衣・偏衫が各所で弛む装飾的な像である。慶派系の引き締まった面貌をしめすが衣文には形式化が一段とすすんだ観があり、制作は13世紀末頃とみられる。当寺は大浜道場といい、暦応2年(1339)、二祖他阿真教弟子声阿の開山を伝える。像の制作は当寺開創より多少早いとみられる〔図8〕。②−5:静岡県富士市・泰徳寺本尊像は像高105.9センチの髪際高三尺像。割矧造か、玉眼嵌入、表面は近時の修補。着衣形式はやはり、右肩で衲衣が偏衫にかかるもの。慶派系の作風の延長上にあるが多少面長で張りにかける面貌表現など、制作時期の下降が認められ14世紀に近い作とおもわれる。当寺は弘安3年(1280)一遍上人留錫により覚阿が帰依して開創と伝える。本像の制作時期は開創期とほぼ一致しよう②−6:静岡県沼津市・西光寺本尊像は像高78.0センチ、両脇侍を伴う三尊像中尊である。割矧造、玉眼嵌入、金泥塗。着衣形式は右肩で衲衣が偏衫にかかり、僧祗支を着け、衲衣・偏衫が各所で装飾的変化をみせる像である。面貌は慶派系の引き締まった表情をしめし全体にまとまりがよい。像の制作は13世紀後半とみられ、弘安5年(1282)、一遍上人留錫により文阿が帰依し開いたという当寺の寺史ともよく一致するようにおもわれる〔図10〕。②−7:新潟県六日町・弘長寺本尊像は像高78.5センチ、割矧造、玉眼嵌入、漆箔。着衣形式は右肩で衲衣が偏衫にかかり、やはり僧祗支を着け衲衣・偏衫が各所で装飾的変化をみせる像である。形式化がすすんだ衣文や、張りの減じた面相など鎌倉前期の形式を引きつつ相応の制作年代の下降がみられる像である。当寺の開創は正応2年(1289)他阿真教によると伝えられ、この頃の造像と考えて矛盾がないとおもわれる〔図11〕。②−8:福井県敦賀市・来迎寺、旧本尊像は像高79.3センチ、一具の脇侍を伴う三

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