鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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―239―尊像中尊である。割矧造、玉眼嵌入、漆箔。着衣形式は右肩で衲衣が偏衫にかかる否安阿弥様である。衣文は煩雑化し、面貌もやや類型化がみられる。制作は14世紀前半とみられる。当寺は北陸地方の時宗の一大拠点、永徳2年(1382)七代託何上人弟子国阿上人の結縁という。像の制作年代が寺の創建より多少早いようである。②−9:広島県尾道市・西郷寺本尊像は像高99.0センチ。割矧造か、玉眼嵌入、金泥塗。着衣形式は右肩で衲衣が偏衫にかかり、衲衣が右肩から大きく垂れるなど、各所で装飾的変化をみせる像である。やや人間くさい面貌など鎌倉前期の様相は失せ14世紀中葉頃の特徴が顕著である。当寺は遊行六代一鎮上人開創、現本堂は七代託何上人が文和2年(1353)に建立したものという。本像の制作時期はこの頃とみて相応である。②−10:岐阜県垂井町・阿弥陀寺本尊像は像高78.5センチで、後補の脇侍を伴う三尊の中尊像。寄木造、玉眼嵌入、肉身部金泥塗。着衣形式は、右肩で衲衣が偏衫にかかり、衲衣・偏衫を装飾的に着付けるタイプである。抑揚のない体躯や、やや平板な面相など14世紀後半頃の造像とみられる。当寺は正応年間(1288〜92)の開創と伝えるが詳細は不詳〔図12〕。③宋風三尺阿弥陀立像の作例③−1:神奈川県鎌倉市・来迎寺本尊像は像高66.6センチと小さい。一具の脇侍菩薩を伴う三尊像中尊である。割矧造、玉眼嵌入、漆箔。着衣形式は右肩で衲衣が偏衫にかかり、衲衣・偏衫を装飾的に着付けるタイプである。腹から脚間にかけての衣文処理はY字形をつくらず、U字形の連続でつくる。衣文は煩雑化し、袖先長く垂下し、裳先は足下を覆い、さらに後方は台座下へ垂下する。扁平な頭髪の形も特徴であり、総じて鎌倉地方の宋風彫刻の濃厚な作風をしめす。面貌は引き締まり慶派的である。制作時期は13世紀後半であろう。当寺はもと建久5年(1194)創建という真言宗能蔵寺(三浦大介義明の菩提を弔う寺)。のち音阿を初住とし時宗に改宗したという(13世紀末頃のすれば像の制作時期と相応か)〔図13〕。③−2:神奈川県鎌倉市・向福寺本尊像は像高79.0の小振り三尺像、一具の脇侍菩薩を伴う三尊像中尊である。割矧造、玉眼嵌入、漆箔。着衣形式は右肩で衲衣が偏衫にかかり、衲衣・偏衫を装飾的に着付ける。腹から脚間にかけての衣文処理はU字形の連続である。鎌倉地方の宋風彫刻の特徴を引く作で、やや形式化が目立つ。制作時期は14世紀中頃であろうか。当寺は弘安5年(1281)、一向の開山を伝えている。寺開創後の像とみられる。

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