―241―とを示している。じつは三尺阿弥陀立像に限らず、今回は研究対象としなかった信濃善光寺の霊像を模した所謂善光寺式三尊についても一遍の善光寺参籠と関連する深縁の像として、時宗で本尊像に多く祀っている例がある。これらからいえることは、時衆が本尊阿弥陀尊像に関して、形姿・形式などにつき特に規定や統制のような枠をはめず、教団的には大らかに広く捉えていたということである。古像や霊像であればすすんで阿弥陀本尊として礼拝したようにおもわれる。快慶や行快といった鎌倉初期の一流作例が時宗にあるのも、いちがいに偶然ではなく他阿真教をはじめとする初期の優れた上人の活躍があってのこととおもわれる。古像を本尊とすること、これは初期時宗における本尊観のひとつの個性ということが出来ようか。一方、道場寺院においてはまた、本尊としてあらたな三尺阿弥陀立像の制作も盛んであったようである。前述の作例の中から時宗成立あるいは寺の創建と比較的矛盾のない作例を摘出してみると、安阿弥様作例では静岡県浜松市・妙光寺像。安阿弥様に属さない②分類では静岡県富士市・泰徳寺像、同県沼津市・西光寺像、新潟県六日町・弘長寺像、広島県尾道市・西郷寺像、岐阜県垂井町・阿弥陀寺像があげられ、宋風の懸かった像では神奈川県鎌倉市・来迎寺像、同市・向福寺像。そして歯吹き系統像では富山県富山市・浄禅寺像、福井県小浜市・称念寺像が本来的に時宗本尊であった高い可能性をもつ像である。これらを通して考えられることは、まず、以外に快慶作を手本においた安阿弥様が少ない点である。前述した古像導入については安阿弥様が多いのであるが、あらたな造像としては安阿弥様と別系統の②分類(着衣が上体で衲衣が右肩の偏衫の上に懸かってから正面にまわる形式)が圧倒的に多い点である。ただしこれは時宗に特徴的にみられる傾向とは考えにくく、鎌倉中期から後期にかけての三尺阿弥陀立像の一般的傾向の中で解釈できるものとみられる。しかし、その内容についてみると制作の優れた慶派系とみられる像が多く含まれているのは注目されることである。宋風像については、その本拠地ともいえる鎌倉地方において作例がみられるのは当然のことかもしれない。なお福井県小浜市・浄土寺像は近在に類作の少ない像とみられ美作として系譜が気になる。最後に歯吹き阿弥陀立像の存在についても注意をしておく必要があろう。時宗と歯吹き阿弥陀の間に、特別な因縁や信仰があったとする史料などはこれまで一切知られてはいない。しかし、先に紹介した富山県富山市・浄禅寺、福井県小浜市・称念寺の両像の他にも、もと時宗であった千葉県銚子市・浄国寺にも歯相をしめす歯吹き阿弥陀が遺されている。作例僅少なる歯吹き阿弥陀立像の秀作数躯が時宗寺院の本尊とし
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