―249―ら画家としての姿勢を学んだのであって、靉光に対して影響を与えたとは考えにくい。この点は、元宋においても同様で、靉光とは年齢の隔たりが大きく画業自体が短いこと、また後に同人となる三好光志も含め、皆油絵から出発し、日本画を本格的に追求するまでに回り道があったことなどが理由に挙げられるだろう。では、丸木位里についてはどうだろうか。位里の第1回藝州展出品作としては、《池》や《柿》などが図版で確認できる。《池》〔図8〕は、第8回青龍社展の出品作で、制作中の位里を靉光や野村が訪ね、何かと助言をしたのだという(注25)。この時期には、靉光と位里は毎日のように動物園に通い、時に同じモチーフを描くこともあった。共作といわれる《ラクダ》の存在はよく知られるところであるし、しきりにライオンを描く靉光につられて描いた作品〔図9〕もある。この作品は、位里によるとエルンストの影響のあるもので、靉光の意見を聞きながら描いた一双の作という。このように緊密な関係を保って制作していた両者の影響関係は、モチーフの上だけにとどまらない。《池》は植物や魚、石など、主だった形象を単純化する一方、絵の具自体は厚く塗り重ね、油絵風な絵肌によって強い画面を構成している。白描風な作品を描いた、靉光の東洋画への接近の起伏に沿うように、位里が油絵的表現を取り入れているようにも見える。また、少し時代は下るが、《不動》〔図10〕の造形表現にも注目される。この作品で位里は、塗り重ねた絵の具を洗い落とし、独特のにじみの効果による色彩の深まりで画面を形成している。何層にも重ねた絵の具を落とすことで、下層の表情を浮かび上がらせる背景は、《シシ》〔図5〕で靉光が用いた手法に通じるものがある。《シシ》では、背景を削り落とすことで、混色することなく色彩が重層的にあらわれ、現実の再現ではない、絵画独自の空間が表現されている。「技巧もよく卒なくこれだけの幅員をリードしてゐるが何かまだ不足な點がある。それはマチエールの上の仕事に缺けてゐると共に少し企劃が野心的すぎたからでもあらう」(注26)と評されたこの作品は、先に独立展に発表した《ライオン》を発展させ、マチエールを追及した作と考えられると同時に、削り落としにより、靉光の独自空間を成立させているという意味で、造形的に《眼のある風景》に最も近いといってよい。以上、藝州展前後の作例から、靉光、位里の技法や空間表現の共通性を見てきたが、この時代の作品は、両者ともに現存が少なく、綿密な比較対象は困難である。しかし、位里が油絵的な手法やヨーロッパの前衛画家の影響を受けつつ制作する一方で、そうした手法を取り込んだ新興の日本画ともいうべき位里の作品に対し、靉光が少なからぬ関心を寄せることもあったのではないかと思われる。早くから、山路商ら前衛的な
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