鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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;フィリッポ・リッピによる受胎告知図の研究―257―――サン・ロレンツォ作品を中心に――研 究 者:山口県立美術館学芸員  剱持あずさ1 はじめに本論の目的は、フィレンツェ、サン・ロレンツォ聖堂のフィリッポ・リッピ作《受胎告知》〔図1〕が、同時代フィレンツェで制作された受胎告知図におよぼした影響の程度を明らかにすることである。1440年頃の制作と考えられるこの《受胎告知》は、現存するリッピによる祭壇画形式の受胎告知図の中では、最初の作例である(注1)。本作品は、伝統的な受胎告知の図像からしても、同時代のフィレンツェで制作された受胎告知図と比較しても、大変特徴的な図像を示している(注2)。しかしこれまでの研究をふり返ると、本作品についての議論は、画面そのものよりもむしろその形式をめぐって行われてきた。すなわち、板をつなぎ合わせている構造上の特徴や、主要人物を画面右側に集中させていることなどから、現在は単一画面の《受胎告知》が、本来は左右二つの画面に分かれていた可能性が指摘されており、研究者間で一致した見解は未だ導き出されていないのが現状である(注3)。このような状況の中、本作品と同時代フィレンツェの受胎告知図との関係はほとんど考察されておらず、本作品はむしろ例外的なものとみなされてきた。しかし、作例を丁寧に検討すると、本作品が決して例外的な存在ではなく、同時代作例と密接に関わりを持っていることがわかる。以下では、マリアの所作および舞台設定の二点に着目して、本作品が、同時代さらには後世の画家に対しても少なからぬ影響力を持っていたことを示していきたい。2 マリアの所作について:その独自性サン・ロレンツォ《受胎告知》で、まずひときわ目をひくのは、立って、大きく手を広げてガブリエルを見下ろすマリアである。受胎告知の図像において、立ち姿でお告げを受けるマリアは古い伝統を持つ。しかし、15世紀初頭から1440年までに描かれたフィレンツェの主要な絵画作例では、座っているマリアを描いたものが多い。ロレンツォ・モナコ〔図2〕やフラ・アンジェリコの作品〔図3−4〕では、マリアは椅子に座って天使と対面している。また、「奇跡の絵」として大いに信仰を集め、フィレンツェの受胎告知図に影響を与え続けたとい

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