鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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―260―3 舞台設定次に、作品の舞台設定に注目したい。本作品で受胎告知が起こっているのは、屋外に面した廊下らしき場所である。この廊下は左右で別の部屋に通じており、廊下から続く建物が、画面奥に向かってちょうど左右対称に後退していくように描かれている。建物に挟まれた中央部は中庭になっており、前景の天使たちの背後には蔓のからまる葡萄棚、井戸、木々、さらに遠景には、薄く雲がたなびく空の下、建物が立ち並ぶ様子までが見える(注13)。このような舞台設定は、同時代の受胎告知図の中では他に例がない。14−15世紀の受胎告知の図像については、すでにロブが空間表現に着眼した包括的な研究を行った(注14)。彼が指摘したように、14世紀以来イタリアでは、ドゥッチョの作例〔図7〕のように屋外に臨んだポーティコ(柱廊式玄関)を舞台とする受胎告知が主流となった。15世紀に入ってもこの設定は受け継がれ、ロレンツォ・モナコの《受胎告知》〔図2〕などはその好例を示す。1420年代のフラ・アンジェリコによる《受胎告知》〔図3〕は、画面の左側に楽園追放の場面を挿入するという斬新な表現がなされた例だが、ここでもポーティコという基本設定は変わっていない。アンジェリコは、その後も受胎告知図において継続してポーティコを描いている〔図4〕。あらためてサン・ロレンツォ作品〔図1〕を見るなら、屋外に開放されている廊下という点では以上の作例と同様だが、対称的に建築物が続いているという点、画面の中央部に遠景の風景表現が導入されているという点で明らかに異なっている。リッピによるこのような舞台設定の着想源として、マザッチョによる先行作例を想定することができるかもしれない。ヴァザーリによれば、マザッチョは「遠近法で描かれた多数の柱がある」受胎告知を、フィレンツェのサン・ニコロ・ソプラルノ聖堂のために描いたという(注15)。マザッチョ作品は失われているものの、おそらく、マゾリーノのサン・クレメンテ聖堂の《受胎告知》やドメニコ・ヴェネツィアーノのサンタ・ルチア祭壇画のプレデッラ〔図12〕に近い構成であったと考えられている(注16)。これらの作品に共通しているのは、舞台が左右対称の建築で構成され、画面中央に向かって後退していく柱の列によって遠近法が強調されていることである。この舞台構成が当時の一級画家の関心を呼んだことは、祭壇画などの大画面では1420年代以来の構図を変えなかったアンジェリコが、1450年代の銀食器棚扉装飾用パネルにおいては、ドメニコ・ヴェネツィアーノにきわめて近い構図の《受胎告知》〔図13〕を描いていることからもわかる。フィリッポ・リッピも、マザッチョに由来すると思われるこの構成に大きな関心を

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