星野鈴 富士・三保松原図作品解説『名所景物』〈日本屏風絵集成10景物画〉講談社、1980(注9)参照山楽画も伝雪舟の影響下に制作されたことを考えれば、あらためて「富士清見寺図」に関する受容と変容の裾野の広さを思わずにはいられない。なお、山雪と探幽の先後関係につき、探幽画から山雪画への展開という逆の流れもあるいは想定できようが、本稿では山雪から探幽へという立場をとるものである。山下裕二「式部輝忠の研究―関東水墨画に関する一考察―」『国華』1084、1985年(注4)『美術史』論文の注6辻惟雄「「眞景」の系譜―中国と日本(下)」『美術史論叢』〈東京大学文学部美術史研究紀要〉(注13)参照。また、羅山には富士山を題材とした詩文も多い。京都史蹟会編『林羅山文集(注4)『美術史』論文 山下善也氏は実際の景観を観察した瑞々しい「実感」が本画にいかされているとする。(注4)■『特別展 松花堂昭乗 ―茶湯の心と筆墨―』展図録 大和文華館、1993年―273―に―」『古美術』72、1984年山下善也「狩野山雪筆「富士三保松原図屏風」―図様の源流と革新性について―」『静岡県立美術館紀要』2、1984山下氏は、本屏風を山楽様式から山雪様式への過渡的位置を示す比較的若い頃の制作と比定している。なお、『静岡県立美術館紀要』論文の注39において、山雪が元和2年(1616)頃に山楽に伴って駿府へ同行した可能性が指摘されている。山下裕二 富士八景図作品解説『禅林画賛 中世水墨画を読む』毎日新聞社、1987年3、1987年上・下巻』『林羅山詩集 上・下巻』ペリカン社、1979年。『美術史』論文。
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