鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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■「学芸」岩手日報、昭和27年(1952)5月27日■「岩手美術界の回顧」岩手日報、昭和32年(1957)12月24日■「『8人展』合評会 イズムが足りない 求める世界は共通する」岩手日報、昭和33年(1958)■高橋昭八郎「視覚詩がなぜ試みられるのか ミクロの窓から見たひとつの流れ」『岩手の詩』、■岩手美術連盟は昭和16年(1941)5月、在京美術家主体の「北斗会」と地元の美術団体「七光社」・「素顔社」が合併して発足した県下最大の美術団体であり、当時の県美術関係者のほとんどがここに属したといって過言ではない。この団体は翼賛運動の一組織であり、戦時中は従軍画家の派遣、殊勲兵士の顕彰肖像画制作、療養所への作品寄贈、工場への慰問、戦意高揚ポスターの作成などを行った。連盟は戦後もしばらく活動を行っていたが、政治絡みの内紛により昭和24年(1949)4月に解散した。その後まもなく岩手美術協会が設立されるが、これは実体をほとんど伴わない名称のみの団体であり、同年6月に深沢省三を委員長として創立した新制美術会が、旧美術連盟の会員の多くを引き継いだ。正式名称は「特別教科(美術・工芸)教員養成課程」であり、「特設美術科」は略称である。同科設置以後、昭和35年(1960)改組によって岩手大学教育学部特設美術科となり、平成7年(1995)に岩手大学大学院教育学研究科美術教育専修が開設、平成11年(1999)に改組によって芸術文化課程造形コースとなり現在に至る。―283―10月31日3月25日岩手県詩人クラブ、平成18年(2005)、342−3頁(初出『北流』14号(昭和51年(1976))

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