菅公イメージの変容と系譜―286―――京都・常照皇寺伝来の北野天神縁起絵巻について――研 究 者:北海道大学大学院 文学研究科 助教授 鈴 木 幸 人本稿は、京都・常照皇寺(注1)伝来の北野天神縁起絵巻(以下、常照皇寺本と呼ぶ)の実見調査に基づいて、天神縁起絵の系譜・展開考察の一様相について私見を述べるものである。はじめに 常照皇寺本と草岡神社本今回の実見調査によって、常照皇寺本は、他の天神縁起絵諸本と比して、その詞書および図様において、きわめて特異な様相を示すものであることが確認された。その特色とは、次の2点に集約される。第1には、その絵において、諸本にみられない特有の図様をもつ事。第2には、その詞において、所謂「丁類(安楽寺本系)」の縁起文を採用する事。さらに、常照皇寺本と祖本を共にすると思われる草岡神社(注2)伝来北野天神縁起絵巻(以下、草岡神社本と呼ぶ)の存在も知られ(注3)、これら両本の存在とその示す特色は、それ自体興味深いものであるばかりでなく、天神縁起絵の系譜・展開を考察するうえで看過できないものと思われる。これまで常照皇寺本は、真保亨氏の著作、以下の2点に紹介されていた。まず『日本の美術299絵巻北野天神縁起』(至文堂、1991年)の巻末付録、近世絵画と天神縁起絵との関連を述べる箇所(注4)に、[清涼殿霹靂(時平抜刀)]場面のモノクロ図版が紹介されている(注5)。風神、雷神が清涼殿を襲うという珍しい図様で、著名な俵屋宗達「風神雷神図」の図様の源泉の可能性があるとして取り上げられている。たしかに、このように風神と雷神が対になって描かれる天神縁起絵はほとんどない上記の紹介は貴重なものであったが、同本の全容を紹介するには至らなかったのは、同本が零本(中巻のみ現存と想定される)であり、近世初期の制作と見られ、特殊な図様をもつ孤立した存在と考えられたためと思われる。しかし、先述の草岡神社本の存在が知られ、それと比較すると、常照皇寺本は、草(注6)。この点だけをみても、常照皇寺本はユニークかつ重要な作例であることが了解されよう。また、『北野聖廟絵の研究』(中央公論美術出版、1996年)のなかでは、49件に及ぶ天神縁起絵のリストである「北野聖廟絵作品一覧」(注7)に「常照皇寺本 一巻 京都・常照皇寺」と記載されていた。(とくに記述等はない。)
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