鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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―287―岡神社本の第2巻と同一の構成を持つことが明らかで(注8)、共通の祖本を想定することが可能である(注9)。すなわち「常照皇寺本および草岡神社本系北野天神縁起絵巻」が想定され、これは従来知られる天神縁起絵の系譜において、図様と詞の両面で特異な存在としなければならないのである。1.丁類の天神縁起について天神縁起絵巻は、鎌倉時代初期に絵を伴う縁起絵巻(承久本)が成立したとされ、信仰の広がりとともに中世から近世まで数多い作例が知られるが、その展開は単純な系統立てを許さない(注10)。その中で詞書の方からは甲類・乙類・丙類等の分類が、絵の面からは初期形成期、弘安本系、津田本系等の有効な分類がなされてきた(注11)。また、甲・乙・丙類に属さない縁起文があり、それは『続群書類従』に所載の呼称から「安楽寺本」系と呼ばれ、類例を広くとらえ「丁類」として区別すべきと提唱されている(注12)。その丁類の縁起本文は序文冒頭が「風カニ聞三葉之葦自開海上以来砂長為山塵積成国」または「伝聞三葉ノ葦海上ニ開ケシヨリ以来砂長シテ山トナリ塵積テ国トナレリ」等で始まる真名文または漢字片仮名交りで表記される。丁類一般の特色として説話に省略(九条家と北野社の関係)、記述に増補(尊意の活躍)等があり、他類が絵巻形式をとるのに対して、絵を伴わない「聴聞」用テキストとして展開したとされる(注13)。かかる見解は縁起本文の性格もさることながら、これまで丁類を詞書とする縁起絵巻がほとんど知られていなかったことも与って大きいと思われる。真保亨氏は、丁類の祖本の成立を13世紀前半に想定し、これをそのまま詞書とした絵巻は見出されていないが、「北野本地絵巻」および「メトロポリタン本」では[西念往生]と[銅細工娘利生]の段のみに丁類の詞がとられ、さらに丁類の精細な「六道」描写が「承久本」の六道の場面に影響を与えていると指摘される(注14)。こうした状況のもと、近年、フランス・ギメ国立東洋美術館所蔵の天神縁起絵巻が注目すべき作例であることが知られるようになった(注15)。ギメ本(注16)は、詞書は甲類ながら、乙類二種と丁類にのみ所載の説話も含み、第一巻冒頭には真名文で「風聞三葉之葦自開海上」と始まる丁類の序文(以下「此則神之恩此又人之幸誰不至誠乎」まで17行記される)が置かれている。その後に、「大政威徳天縁起第一/夫王城擁護乃神多くましますといへとも/天満天神は霊験誠にあららかにて…」とつづく(注17)。なお乙類二種と丁類にのみある「都良香詩作」説話を含む点も注目される。このように、全面的に丁類の詞書を採用する常照皇寺本および草岡神社本は、これ

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