鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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注京都市右京区京北井戸町丸山(旧京北町)、臨済宗天龍寺派 滋賀県伊香郡余呉町国安■草岡神社本は、紙本着色、3巻。明らかな錯簡も認められるが、現状、絵は全部で28場面。包紙に「奉納 天満宮御縁起 但繪入 土佐刑部大輔光信女千代筆 并極札有 摂州大坂東生郡東高津枝郷餌指町本山京都御室御所観音院中興法印光照上人(墨印)行年五十三 延享二―291―政威徳天は唐風の衣装であるが、神博本、光起本、上宮天満宮本は、いずれも大政威徳天を「束帯姿」に描く。また「童子」を伴う点が神博本、光起本、上宮天満宮本と異なる。これは、縁起テキスト本文に、「天童一人あゆみいてて金の扉をひらき錦をまきあけたるに、云々」とあるのをうけてのものと思われる。この記述は丁類にしかなく、草岡神社本(系統)が丁類のテキストに忠実であろうとする態度を示しているといってよいだろう(注26)。さて、丁類縁起で著しく記述の増補した[尊意渡水]は、先述のように常照皇寺本では諸本に比べて図様の大きな変容はなかった(草岡神社本も同様)。しかし、大阪天満宮本〔図12〕、生身天満宮本(〔図13〕『生身天満宮宝物展』展示図録より転載)等では、鴨川の水は左右に大きく分かれず、洪水の中に牛車を乗り入れているような、少し変わった図様を示す。これは、これらの詞書にも見られるように、「川の底の深さは牛の膝にぞ立ける、云々」(常照皇寺本第7段)とある丁類のテキストに則ったものと考えることができる。また、[清涼殿霹靂]で、丁類縁起に見られる「もしや助かると思ひける下郎ともあるいは板敷の下に這い入りあるいは壷唐櫃の座に隠れあるいは畳を担て泣くものあり、云々」(常照皇寺本第6段)とある記述が、菅生天満宮所蔵天神縁起絵(掛幅本、〔図14〕)に造形化されているのが認められる。このように今回の調査研究によって、これまで通例の図様と相違していて、端的に言えば、奇妙な図様であるととらえられてきた、見過ごされてきた作例が、丁類のテキストの造形化、あるいはそれに関連するものである可能性が指摘できた(注27)。今後もかかる例が見出されると思われる。さらに詳細な分析が必要ではあるが、これまで看過されてきたきらいのある近世の天神縁起絵の図様(その源泉が中世にさかのぼるものも多数予想される)や、天神縁起の大きな特色である在地縁起(ご当地縁起)の図様などを収集分析して、天神縁起絵、「菅公イメージ」の変容と系譜に新たな視点を確立していきたい。

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