鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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■同書p.90−95■同書p.94−95の図版。なお本論図版頁、図6参照■金龍寺(大阪府守口市)所蔵の北野天神縁起絵(紙本着色、詞書なし、1幅、制作年代は江戸■同書p.507■実際には草岡神社本に錯簡が認められるので完全に一致する訳ではないが、本来同一構成をもつものと見て差し支えないと思われる。草岡神社本の現状および復元等については「太子信仰と天神信仰の比較史的研究」報告書(研究代表者武田佐知子)の「余呉・草岡神社伝来の北野天神縁起絵巻について」と題した報告を参照のこと。草岡神社本の方が、全般に図像が省略化、簡略化されているので、常照皇寺本から草岡神社本への転写の可能性もあるが、例えばモチーフのうち、蔀戸の吊金具は常照皇寺本に省略があり、草岡神社本には省略が少ないなど、常照皇寺本も祖本を持つ写本であることを示唆する。共に写し崩れが随所に見られることから、現時点では共通の祖本を持つものと考えておきたい。天神縁起絵の系譜の概要は、『菅原道真没後千百年天神さまの美術』展図録(東京国立博物館、福岡市博物館、大阪市立美術館、NHK、NHKプロモーション、東京新聞発行 2001)を参照のこと。近年のすぐれた成果に『天神縁起の系譜』(2004年、中央公論美術出版)にまとめられた須賀村上学氏の論考を参照。「神道集巻第九「北野天神事」ノート‐1‐」(『名古屋大学国語国文学』(通号15)[1964.11]p. 29〜60)、「神道集巻第九「北野天神事」ノート(2)―その「文学」性」(『名古屋大学国語国文学』(通号17)[1965.11]p.69〜83)等小仲透「安楽寺本系北野天神縁起の性格」(『論究日本文学』(通号49)[1986.05]p.23〜33)真保亨「安楽寺本系について」(『北野聖廟絵の研究』所収中央公論美術出版1994)松原茂「天神縁起絵のはじまり」(『菅原道真没後千百年天神さまの美術』展図録所収)外題に「太政威徳天縁起」と記す。紙本着色、全6巻。巻第6巻末に天文7年(1538)「山城国乙訓郡開田村薬水場寺」(現京都府長岡京市)に奉納の奥書がある。大阪・上宮天満宮本(長禄3年(1459)奉納の奥書がある)と詞書・画風に密接な関連を持つことを指摘しておいた。(『菅原道真没後千百年天神さまの美術』展図録作品解説)以下の本文は甲類(建保本系)とみなされる。 現在のところ資料は見出されていないが、常照皇寺と北野社との関係が知られている。同寺伝来の他の作品・資料の詳細な検討によって同絵巻の伝来等も詳らかになることが期待される。■注3参照 仮に北野社に関係することがあれば、従来議論のある「北野社における縁起のあり方」を考察する上でも重要となる。すなわち北野社では、乙類を自社の正統の縁起と見做しつつ、『北野文叢』所収の所謂「聞書」に丁類の縁起文が参照されているのであるが、そうしたあり方の傍証ともなるかもしれない。■須賀みほ『天神縁起の系譜』(前掲、注11)における分類法による。杉谷本、佐太文明本、ス―292―乙丑年九月二十五日 神主片岡求馬代 片岡天神宮御寶前」とあり、また第3巻巻末に「延享二乙丑年九月廿五日 奉寶納天神縁起三巻之内 観音院中興光照上人 行年五十三歳 神主片岡求馬代 享保二十年卯七月九日求之三軸之内 観音院光照坊」とある。制作年代は、これら奥書等の年代と齟齬なく18世紀前半が想定されるだろう。時代中期と思われる)の[清涼殿霹靂]場面には風神と雷神が描かれている。みほ氏の一連の研究が挙げられる。以下の考察も同書によるところが大きい。

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