鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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■図9に見るように、御簾を上げて庭を眺める幼少の道真、庭の池には氷、松に雪。いずれも諸本に類例を知らず、管見及ぶところでは初めて造形化された作例と思われる。いずれにせよ特筆に価する図様といえるだろう。■注7参照。■近世初期における地獄図像の形成、影響関係の点からも草岡神社本(常照皇寺本も含めて)の重要性が指摘しうるだろう。「熊野観心十界図」については、高橋平明氏(元興寺文化財研究所)のご教示を得たほか以下の論考を参照した。宮次男「目連救母説話とその絵画--目連救母経絵の出現に因んで」(『美術研究』2551969.03)、黒田日出男「熊野観心十界曼荼羅の宇宙」(宮田登編『大系仏教と日本人.8性と身分』春秋社1989.9)、渡浩一「串刺しの母―地獄図と目連救母説話―」(林雅彦編『生と死の図像学: アジアにおける生と死のコスモロジー』第4章至文堂 2003.3p.193〜242)、小栗栖健治「熊野観心十界曼荼羅の成立と展開」(兵庫県立歴史博物館編『塵界』(15)[2004]p.129〜242)、鷹巣純「目連救母説話図像と六道十王図」(『仏教芸術』(通号203)[1992.07]p.48〜70,14)相澤正彦「初期狩野派の北野天神縁起絵巻(上)、(下)」『神奈川県立博物館研究報告(人文科テキストに基づいて天童を配する大政威徳天(天神)の図像は、近年知られるようになった「童子を伴う束帯天神像」(山本五月「天神と童子―中世天神信仰の物語と図像」中世文学会『中世文学』(50)[2005]p.71〜80参照)の解釈に一石を投じる可能性があろう。「菅家瑞応録」や、近世の絵本等(「絵本菅原実記」「絵本天神一代記」他)に集積されることになる説話群の造形化の問題もある。それらについても資料の収集分析を進めているが稿を改めて論じたい。―293―ペンサー本、菅生本等をさす。学)』第24号、第27号[1998、2001]

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