鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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―301―共和国」というイメージを喧伝しようとする意図が透けて見える。羊を抱いた共和国兵士の写真はスペインの新聞だけでなくフランスの雑誌にも掲載された。ドゥルッティ師団に従軍したフランス人将校の記事が掲載された1939年2月24日付のヴォアラ誌では、肩に羊を乗せる兵士の写真〔図11〕が表紙を飾っている。ピカソはこうした報道写真を実際に目にする機会があったのだろう。ピカソ本人が所持していたことが確認できたわけではないため、このどれかが《羊を抱く男》の直接の図像源泉となったと断言することはできないが、そうではないとしてもピカソが同類の写真を参照したことは容易に推測できる。こうした推測が単なる偶然の一致ではないことを証言しているのが、エウヘニオ・アリアスである。スペイン内戦では共和国側について戦った生粋の共産党員アリアスはスペイン人亡命者としてヴァローリスで床屋を営み、同じスペイン人亡命者としてヴァローリスの住人となったピカソと親密な関係を結んだ。神秘的な力が宿るとして他人には決して髪の毛も爪も触らせようとしなかったピカソの専属床屋を務めたのだから、互いに寄せる信頼は絶大なものだった。そのアリアスが次のような証言を残しているのである。あるとき、ドイツ人たちがヴァローリスに来たのです。わたしは彼らやピカソと役場の前で待ち合わせをしました。わたしたちは広場に《羊を抱く男》を見に行きました。ドイツ人たちはピカソにこう質問しました。「これはあなたがつくったのですか?」ピカソは答えました。「いや、きみたちが創ったんだよ!」ピカソはパリで同じ答えをドイツ人兵士に返していました。「どうして?」ドイツ人たちは尋ねます。「だって、この彫刻は《ゲルニカ》を表しているからさ。」そして、次のような逸話を語ったのです。「ドイツ人たちがゲルニカを爆撃したとき、爆弾は羊や山羊の厩舎にも落ちた。たくさんの動物が死んだんだ。ある羊飼いが両腕に一頭の羊を抱えて街から逃げたんだ。」ピカソは彫刻作品の発想源となる写真を見たことがあったのです(注17)。共和国を支持する内戦の報道写真に《羊を抱く男》の図像源泉があるとすれば、スペインとは目と鼻の先にあるヴァローリスにブロンズ像を寄贈するという行為の裏側には、ピカソが帰国することを不可能にしているフランコ政権に対するアンチテーゼの意味があると解釈できる。第二次大戦中に発せられた「絵画は部屋を飾るために描

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