注作品の制作過程の詳細は以下の文献を参照。BRASSAÏ, Conversations avec Picasso, Paris,Gallimard, 1964, pp.196-197、GILOT, Françoise/ LAKE, Carlton, Life with Picasso,Middlesex,Penguin Books, 1966(1964), pp.301-303.■PENROSE, Roland, Picasso. His Life and Work, London, Pelican Books, 1971(1958), p.357. TUCHMAN, Phyllis, “Picasso’s Sentinel”, Art in America, February 1998, pp.86-94、L’Homme au■バルセローナのピカソ美術館で2004年に開催された「戦争と平和」展では従来の解釈を総括して、次のようにまとめている。「ピカソは古典的な「よき羊飼い」の図像を再現、刷新し、平和のために戦うことの宣言へと変貌させた。その石膏像は−のちに3体のブロンズ像が制作され−パリ解放の瞬間にはグラン・ゾーギュスタンのアトリエに屹立していた。平和を希求する画家の公的宣言であると解釈される。《羊を抱く男》は古代の伝統を引用し、シュピースが指摘するように、ロダンを想起させるものである。長きにわたる豊穣な準備作業は無数の習作によって具現化され、この素晴らしい彫刻の最終段階を形成していく。」(Picasso: guerra y paz(cat.exp.), Barcelona, Museu Picasso, 2004, p.175.)。―302―「よき羊飼い」の寓意としての解釈が第二次世界大戦までをも視野に入れた巨視的なかれるのではない。それは攻撃と敵に対する防衛のための戦いの武器だ」(注18)というピカソの言葉は《ゲルニカ》制作中の言葉、「制作中の作品や全ての近作において、私はスペインを苦痛と死の大海に沈めた軍事集団に対する嫌悪をはっきりと表明する」(注19)とまったく同一線上にある。つまり、反ファシズムというピカソの姿勢は反フランコという立場を根本に内包しており、そうした立場は第二次大戦中もその後も変わることがなかったことを《羊を抱く男》は示しているのである。結論ここで重要なのは、アリアスなどピカソと親密な友人だけが知ることのできた直接的な図像源泉が一般に共有されることなく、「反フランコ」という具体的な思想を内包した《羊を抱く男》は「戦争時下の人間の運命に対する彼の共感の感動的な証言」(注20)として、より広い文脈で解釈され、そうした解釈が広く定着した事実である。そもそもピカソの反ファシズムという姿勢は反フランコという姿勢が歴史の流れに沿って展開したものであり両者は不可分に結びついたものなのだから、作品の意味を狭い枠のなかに限定する必要はないとも言えるだろう。しかし、従来行われてきた視点で捉えたものとするならば、そこに本研究で示したような反フランコの寓意として解釈する視点を組み込むことによって《羊を抱く男》に内包された意味的な深さが垣間見えてくるのも事実だろう。mouton(cat.exp.), Vallauris, La Réunion des musées nationaux, 1999など。
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