鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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中世における不動明王画像の展開―307―――倶利伽羅龍剣をめぐって――研 究 者:広島大学大学院文学研究科 研究支援員  山 口 直 子はじめに倶利伽羅龍剣を説く経軌等には、①金剛智訳『不動使者陀羅尼秘密法(不動使者法)』、②不空訳『金剛手光明潅頂経最勝立印聖無動尊大威怒王念誦儀軌法品(立印儀軌)』、③不空訳『底哩三昧耶不動尊威怒王使者念誦法(一巻底哩三昧耶経)』、④不空・遍智共訳『勝軍不動明王四十八使者秘密成就儀軌』、⑤『佛説倶利伽羅大龍勝外道伏陀羅尼経』、⑥金剛智訳『倶利迦羅龍王儀軌』(以上『大正新修大蔵経』第21巻)、⑦善無畏訳『佛頂尊勝心破地獄轉業障出三界祕密三身佛果三種悉地眞言儀軌(佛頂尊勝心破地獄儀軌)』(『大正新修大蔵経』第18巻)、⑧安然撰『不動明王立印儀軌修行次第胎蔵法』(『日本大蔵経』宗典部天台宗密教章疏三)があるが、具体的な像容を示すのは⑨『説矩里迦龍王像法』(『大正新修大蔵経』第21巻)に限られる。これによれば、「形は蛇の如く、雷電の勢いをなし、身は金色、如意宝を繋ぐ。三昧の焔が起こり、四足を踏みしめ、背に七金剛利剣を張り立て、額に一支の玉角を生やし、剣上に纏い繞る」という。上記のうち①②③は空海・円仁・恵運・円珍によって請来されており、⑧にも謳われていることから、倶利伽羅龍剣が平安時代前期の密教受容期に日本に伝わっていたことに疑いの余地は無い。しかし意外にも、不動明王画像中に見られる現存遺例となると、本格的な彩色画像としては、確実に平安時代に遡り得るのは管見の限り青蓮院所蔵不動明王二童子像、いわゆる青不動が唯一である。しかも青不動の場合、倶利伽羅龍剣はあくまで持物であって、これを別箇に独立して描く画像は中世以降の所産と考えられるのである。このことを踏まえ、本研究では滋賀県・大林院所蔵不動明王二童子像〔図1〜2〕、福井県・万徳寺所蔵不動明王三童子像、岡山県・長福寺所蔵不動明王八大童子像、岡山県・宝光寺所蔵不動明王三十六童子像、兵庫県・鶴林寺太子堂西柱、滋賀県・石山寺所蔵倶利伽羅龍剣三童子像〔図3〜4〕について、調査を行った。紙数も限られていること故本論では、大林院本を主たる対象として、倶利伽羅龍の在り方の一例を考察したい。なお大林院本は、明治33年(1900)古社寺保存法による国宝の指定を受け、文化財保護法下に重要文化財と読み替えられて今日に至る。しかし本図に関する解説はいくつか行われたが、未だ詳細な論文は発表されていない(注1)。

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