―310―さらに、一層特徴的なのは岩に打ち寄せる蕨手状の波頭である。この描写は、ボストン本にも登場するが、彼の図の波頭が一つ一つ独立して自由に上方へと跳ね上がっているのに比べ、大林院本の波頭は先端に丸みはあるものの、明らかに堅苦しい。一方、「正安元年(1299)己亥八月廿三日西方行人聖戒記之畢」の奥書を有する一遍聖絵(清浄光寺・歓喜光寺)では、波頭は一つの波から枝分れし、方向も時には抑揚をつけて横に伸び、泉武夫氏が鎌倉時代(14世紀)と考える五坊寂静院所蔵不動明王三童子像では著しく形式化する(注5)が、大林院本の波頭はさほどではない。むしろフリーア本に近いものがあるといえよう。最後に三尊の乗る岩についてみると、墨線で輪郭を描き、赤茶色の岩肌にベンガラを塗り、側筆で凹凸を出している。上面は平らで、巨大な中尊が乗っているにもかかわらず安定感がある。三 図像学的考察これまで具体的に表現や技法について考察を進めた。そこで本項では本図が不動明王画像の系譜の中で、どのような位置を占めるのかを検討したい。まず第一の特徴は、他の不動明王画像では中尊が宝剣の柄を握るのに対して、本図では中尊が長い宝剣の剣身部分を握っていることである。これは例えば石山寺本〔図3〜4〕のように、倶利伽羅龍が長い宝剣を四足で掴んで絡みついている姿と重なる。さてここで不動明王と倶利伽羅龍の関係について具体的に言及している経軌を探ると、『佛頂尊勝心破地獄儀軌』に、「大日如来が憾字に、憾字が剣に、剣が不動明王に、不動明王が倶利伽羅大龍に変成して忿怒相を表し、利剣に囲繞する」としてその本身を明らかにしている。このように、不動明王と倶利伽羅龍が一体であることに思い到れば、本図の中尊が剣身を握ることが自然なこととして理解されよう。次に第二の特徴は、中尊の巻髪が盛り上がり、小さな蓮華を戴くことであるが、特に後考について想起されるのは、四種護摩本尊並眷属図像尊名不詳曼茶羅中に現れる不動明王像〔図5〕(『大正新修大蔵経図像』第1巻)である。その頭部は、髪筋こそ描かないが、中央が一際高く盛り上がって珠をも付した肉髻を有し、まさしく如来の螺髪を表したものと考えられる。このように、不動明王に如来の姿を重ね合わせる先例に気付く時、前考の巻髪についても自ずからその意味が明らかとなろう。すなわち、頭頂部にいわゆる頂蓮を戴く図像は、神護寺の高雄曼荼羅をはじめとして類例が多いのに対して、あたかも肉髻のように盛り上がる巻髪の中央に置かれる小さな赤蓮華は
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