鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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―23―ているものは4の時期の作品に限られる。5.ワイマールのバウハウス(1921−1925):28点1921年1月、クレーは国立ワイマール・バウハウスに着任した。1926年からはデッサウのバウハウスで、そして1931年からはデュッセルドルフ美術アカデミーで教鞭をとる。この3つの時期は共通して、年間の作品数が200点、300点と一定して多いにもかかわらず、両面に描かれた作品の数が比較的少ないのが特徴である。1919年より本格的に再開した油絵について言えば、1919年から22年の作品のなかには、クレー作品に特徴的な2つの相反する側面、すなわち「有機的・詩的・形象的」な側面と「構築的・構成的・抽象的」な側面が、支持体の表と裏に振り分けられて描かれているものが幾つかある。例えば、タブローの表側には、デモーニッシュな「宇宙的・廃墟的」情景、あるいはバウハウスの理念の祝祭的な側面を代表する「舞台」のモチーフが描かれ、そして裏側には、それらと対をなすように、抽象的な矩形色面によるいわゆる「方陣形絵画」や、バウハウスの理念の理知的な側面を示す「建築」のモチーフが描かれている。それはとりもなおさず、クレーが置かれていた当時のバウハウスの両義的・過渡期的な状況、表現主義から構成主義へという状況を反映するものであった(注29)。6.デッサウのバウハウス(1926−1930):45点両面に描かれた作品の数が全体的に少ないにもかかわらず、そのなかで際立って多いのが、合板や厚紙などの支持体の裏表を剥いで2つの独立した作品に分割された「両面作品」である。現在判明している限り、40点ほど存在する(つまりもともとは20点だった)。それは、クレーの死後に息子のフェリックスが修復家に依頼して剥離させたケースと、画商や個人コレクターが転売目的で分割したケースに分かれる。後者の場合、2つの独立した作品に分かれて異なるコレクターや美術館に所蔵されている例も何件か確認される。例えば、1926年の油絵《再構成》〔図7〕は、クレーの生存中、ドレスデンの画商ルドルフ・プロブストに売却され、その後、様々な画商とコレクターの間で売買され続けて、1938年以降、ニューヨークのブーフホルツ画廊の責任者クルト・ヴァレンティンの仲介でアメリカに渡った。来歴から推測するかぎり、おそらく1958年以前に、ピッツバーグの画商デヴィト・トンプソンのところで2つに分割されたのだろう。そして、表の《再構成》は、バーゼルの画商バイエラーを経由して、1960年にデュッセ

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