鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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本論の作品の制作年代については、表1備考欄に示した、参考文献によった。敦煌莫高窟については、『中国石窟 敦煌莫高窟』第5巻付編敦煌莫高窟内容総録(平凡社、1982.12)を併用した。―322―注拙稿「東アジアの誕生仏―片手挙手型誕生仏について―」『仏教芸術』233、毎日新聞社、1997れ、画中に簡単な説明があり、明の太子誕生の図像を紹介する意図がうかがえることが興味深い。最後に、灌水の場面で、盤中で水浴するような太子、坐している太子についてであるが、管見の範囲では、似た形のものが、17世紀以降の遺品にみられる。寛文10年(1670)に平等院鳳凰堂扉絵の上品上生を修復した、絵所左近貞綱が原画を描き、それを木版画にした《釈迦誕生図》〔図18〕で、貞綱自身が着色したものが滋賀県小松寺に、未着色のものが滋賀県梵釈寺に伝わる。この《釈迦誕生図》は流行したらしく、筆者も大阪府下で2点確認しており、香川県法然寺には本図を写した作例が、熊本県安国寺には本図を取り込んで八相図にした作例がある。朝鮮王朝時代(16世紀)に制作されたと推定される、福岡県本岳寺の《釈迦誕生図》と共通性が高いことが、すでに指摘されている(注8)。小松寺の《釈迦誕生図》の構成は本岳寺本と同じ〈出胎/獅子吼/灌水〉であり、伝統的な〈獅子吼+灌水〉ではない。しかし、灌水の場面で、本岳寺本の太子が《御製仏賦》や黎明館本と同様、幼児のような裸形で盤中に坐すのに対し、小松寺本では肉髻をあらわし、長裙を着けた太子が蓮華座上に坐している。その姿には、天平時代以来の如来としての太子へのこだわりを看て取ることができる。おわりに中国を軸として日本との比較を行ったが、小松寺と本岳寺の《釈迦誕生図》のように、日本と朝鮮半島との作例の比較も課題である。朝鮮半島では、三国時代以来、釈迦誕生像の遺品は多い。日本と同様、片手挙手型のものが大半で、〈獅子吼+灌水〉が基本となる。一方、仏伝図については、11世紀に〈出胎/七歩行+獅子吼/灌水〉の構成を持つ《御製仏賦》が制作されるが、他の遺品は、朝鮮王朝時代のものが中心で、誕生の場面構成の変遷について課題が残る。しかし、本助成によって得られた知見も多い。これを基本として、東アジアにおける釈迦誕生像、太子誕生の図像の相互関係について、さらに検討を重ねていきたい。年7月、16〜18頁。

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