■七歩行、獅子吼、灌水を兼ねた作例は、武定元年(543)銘の石造仏碑像中層鐫刻にすでにみられる。しかし、本碑像は、規格された範囲内に3場面を入れた結果の表現と思われる。莫高窟112窟の作例は、弥勒の周囲に余白があり、3場面を意図的にまとめた表現といえる。■『釈氏源流』は、王勃によって編纂された『釈迦如来成道応化事蹟記』に基づいている。『釈■太子を受け取る人物については、拙稿「古代の誕生仏 群像篇―東京国立博物館保管・法隆寺献納宝物191号像を巡って―」(『仏教芸術』258、毎日新聞社、2001.9)の46〜47頁及び注5に私見を述べた。■現存する崇善寺の壁画は、清以降の模写だが、当初の図様を残すという。■日本の古代の釈迦誕生像については、拙稿「古代の誕生仏 単独像篇―大阪・黄梅寺蔵誕生釈■中野照男「朝鮮の釈迦誕生図」『仏画の見方―描かれた仏たち―』、吉川弘文館、2001.1、22〜―323―【図版の出典について】図13〜15は調査時に実写したものである。図10は熊本県立美術館編『第9回熊本の美術展 新出資料による中世の美術』1984.10、図11は李国・高国祥編著『敦煌石室宝蔵』、敦煌文芸出版社、1993.11、図12は柴沢俊編著『山西寺観壁画』、文物出版社、1997、図16は奈良国立博物館『お釈迦様誕生』、2000.9、図17は京都国立博物館『雪舟』、2002.3、図18は町田市立国際版画美術館『江戸の版画芸術展 黄檗美術と江戸の版画』、2004.10、その他については表1の参考欄に示した参考図書より複写した。23頁迦如来成道応化事蹟記』は、『釈迦如来応化録』『釈迦如来応化事績』など書名を変え、修正、増補のうえ、刊行される。清の嘉慶13年(1808)刊の『釈迦如来応化事跡』と比較すると、誕生の挿図が2つに増える、太子に小さな肉髻がみられる、天部や飛天の数が増えるなど、変化は著しい。しかし、〈出胎/獅子吼+灌水〉の基本的な構成は、成化22年刊の『釈氏源流』と同様である。迦仏を巡って―」(『仏教芸術』257、毎日新聞社、2001.7)に私見をまとめた。
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