<近代国家の象徴としての古代女神―327―――紙幣における「神功皇后」の表象――研 究 者:ハイデルベルク大学 東アジア研究センター東洋美術史研究所 はじめに本論は、1870年代から80年代にかけて、日本政府が新しい国民国家を表象するため、神話上の存在である「神功皇后」の視覚イメージを利用したことに焦点を当てる。19世紀に世界各地で見られた国民国家の象徴や代理表象は、その近代的な出自にも拘らず、多くの場合神話や歴史的物語や過去の偉人伝にもとづいていた。エリック・ホブズボームやテレンス・レンジャーの『創られた伝統』(1983年・邦訳1992年)、ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』(1983年・邦訳1987年)に触発され、19世紀美術についても、国家の歴史の視覚的な神話創出は研究書で頻繁に取り上げれるようになった(注1)。しかしながら、近代化していく東アジア諸国において、国民的英雄を選択する過程でジェンダー(性差)がどのように利用され定義されてきたのかという問いには、まだ十分な回答が得られていない。紙幣や公債の発行という形で、明治国家が公的に認めた神功皇后のイメージには、大きく三種類あった。すなわち、西欧のアマゾン、近代日本帝国のアレゴリー、そして王家の肖像/国母であり、これらは、それ以前に知られていた神功皇后のより多面的な人物像を消し去るものであったように思われる。特にそのジェンダーは、明治以前の文献や絵の中では男とも女とも定めがたいものであったが、近代化に突入し、西欧の文化と技術に拮抗するなかで、合理的なジェンダーが新たに構築され、適用されていたことが注目される。紙幣に描かれた神功皇后の肖像明治14年(1881)、イタリア人銅版画家エドアルド・キヨッソーネ(1833−1898)が、国内で発行された一円紙幣を飾る女性像を最初にデザインしたとき、彼とその指導者たちはその女性像に必要なジェンダー化されたアイデンティティと象徴的な意味について、いくつもの決定を行った〔図1〕。国学者黒川真頼(1829−1906)の学識にもとづき、紙幣の図案は3世紀に日本を統治したと考えられていた「神功皇后」の想像上の肖像画となった(注2)。顔立ちは西欧と日本の女性が入り混じったものとなり、長い黒髪と褐色の瞳をもち、肩は日本のものか曖昧な形のはっきりしない衣裳で覆わ教授 メラニー・トレーデ
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