―331―西欧のアマゾン像としての神功皇后実は、これに先立つ明治6年に国立銀行によって発行された十円紙幣には、明治14年のような胸像ではなく、あるナラティヴの中に配された全身像が描かれていた〔図7〕(注14)。ここで神功皇后は西欧のアマゾンのように表され、馬上から海の彼方にある朝鮮半島の山々を睥睨し、武具に身を包んだ日本の戦士たちの一群を率いている。髪型と白く長い外套は西欧風であり、黒馬に跨り、弓矢を手にしている。むろん国民国家がその過去を讃えるために、英雄が新しい領土を征服する姿、あるいは国のため栄誉の死を遂げる姿を描くことはよくあるが、それらはほぼ男性の例であり、ここで見られるように歴史上あるいは伝説上の女性が統一的な歴史を表象する例は極めて少ない。ここで神功皇后が選ばれた理由として考えられるのは、ひとつには、征韓論をめぐる対立が同年に収束しており、このときの争いが、神功皇后がまさに朝鮮半島に侵攻しようとする姿に重ね合わせているという可能性がある。また、日本の歴史の中で神功皇后だけが海外遠征に成功したとされており、近代化の速い段階から西欧の植民地政策を模倣しようとした明治政府の野望に合致していたからということも考えられよう。さらに明治6年はウィーンで開催された万国博覧会に明治政府が初めて参加した年でもあった。この重要な催事に向け準備を進める中で、他国に対し日本を表象するという目的に関する様々な文化的・政治的レベルでの議論が展開した。こうした外交政策を背景として、歴史的に国際間の「交通」に関わってきた神功皇后が、近代的な明治政府の代表に相応しい存在として注目されたと考えられるだろう。文献や絵に表れる戦う女のイメージは、他文化でも同様の機能を果たしてきた。たとえば、フランスではジャンヌ・ダルク(1412−1431)がそのような女性として挙げられる。ドイツ人画家ヘルマン・アントン・シュティルケ(1803−1860)による「ジャンヌ・ダルクの生涯」(1843年、油彩、135×146cm、エルミタージュ美術館蔵)という三連画の真ん中の画面には、国民に愛された好戦的なヒロインが、百年戦争末期、イギリスに対峙しフランス軍を勝利に導く姿が描かれている。このフランスの国民的ヒロインのように、神功皇后は、祖国に誇りを取り戻すよう自ら武装する女性として想像され、三韓に対して勝利をおさめるため軍隊を率いるのである。5、6世紀に成立したとみられる中国の民間歌謡・楽府に謡われたヒロイン花木蘭は、年老いた父が徴兵された際、身代わりとなって男装の軍人姿で従軍し、勝利をおさめ、帰郷した後に自らの性別を明らかにした。木蘭の逸話は様々に翻案され、儒教的な孝行話となったり、恋愛譚となったり、あるいは20世紀初頭の中国では革命的な
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