鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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―332―若い女性たちの間で国民的ヒロインとして記憶された。木蘭は、神功皇后と同様、男性社会に飛び込むことで国のために偉業を成し遂げた人物として、模範的な女性の役割を担っている(注15)。近代日本のアレゴリーとしての神功皇后明治11年に入ると、こうしたものとは異なる新たなイメージ、すなわち近代帝国日本を代表する神功皇后というイメージが必要となった。国家事業を推進するため、日本政府は額面五百円の大日本帝国政府起業公債を発行し、そのデザインを手がけたのもキヨッソーネだった〔図8〕(注16)。このデザインが採択されたのは西南戦争が収束した一年後のことであり、先の明治6年の十円紙幣とは異なり一切武装しない神功皇后の姿に、新生明治政府の自信を読み取ることができよう。神功皇后は、伝統的な日本の女性美とは相容れない、理想化された有史以前の衣裳をまとっている。黒い上着と対照をなす白い着物は、同色の幅広い帯でアクセントが付けられている。頭上で二つの髷が結わえられる以外は、髪型は自由であり、勾玉を含む数多くの装身具を身につけ、その足元は素足であった。ここでの神功皇后の姿勢としぐさは、ヴィクトリア女王といった、西欧の女帝を想起させる(注17)。玉座は左方向へ広がる自然風景に浮かび上がって設えられている。前景では農民が働き、後景には近代の技術的達成を示す鉄道や蒸気機関車といった点景が添えられる。神功皇后が日本の国土を背景に聳え立つことで、全体の構図は、明治初年以来、日本国内で支配的であった富国強兵のスローガンを表すものとなっている。神功皇后の静的で厳然としたポーズと有史以前の日本を思わせる服装は、成長過程にある近代化のエネルギーや速度といったものと鋭い対比を見せつつ、これに合致したものとなっている。つまり「日本古来」の守護神が、近代化の進展を、擁護し、推奨し、そして統括するという構図になっているのである。天皇の妻であり、かつもう一人の天皇に奇跡的な生を授けた母であるという神功皇后の歴史的な役割は、さらに敷衍され、豊かな近代国家を育成し擁護する存在のメタファーへと転化されているのである。こうした神功皇后像と比較しうる、19世紀半ばに発行された西欧の紙幣に描かれている女性支配者の像は、女性をアレゴリー(寓意像)として用いている。明治11年公債券は、この意味で神功皇后のイメージ形成の一つの分岐点と解釈できるかもしれない。本来の物語的文脈や慣習的な連想を避け、またその名を明記しないことで、神功皇后は日本を表象する女性的アレゴリーとなったのである。

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