―345―徳離宮を描きたいという目的があったようだ。大仏寺、羅漢寺、外八廟など、その風景を熱心に描いている。この後、奉天、撫順、本渓湖、安東を経て、10月31日に帰国している。1942年―彩管報国隊(陸軍)に加わっての東南アジア従軍1942年3月、陸軍省が戦争記録画制作のため画家の戦地派遣を決め、清水は推薦され南方各地を描く彩管報国隊に加わった(注28)。派遣は画家が二人ずつ組み、福田豊四郎と共にボルネオに派遣されることになる。4月7日新田飛行場発(注29)、台中、香港経由、10日にプノンペン着。4月上旬、清水は川端龍子、小磯良平、福田豊四郎、吉岡堅二、田村孝之助、鶴田吾郎らと行動を共にし、アンコールワット、アンコールトムなどの遺跡を見学、強い興味を持ってスケッチしている。4月21日、サイゴン着。23日、昭南(シンガポール)へ直行する班と、バンコク、マレー半島経由で昭南へ行く班に別れ、清水は、川端、福田と後者の班に加わる(注30)。この後、清水は細かい移動を繰り返す。マレーシアのピナン島ジョージタウン、タイピン、クアラルンプール、マラッカを経て5月9日、マレー半島最南端のジョホールバル着。11日、スマトラで、ちょうど宮本三郎がスケッチ中の軍司令官山下奉文中将を訪ねている。12日、藤田嗣治とブキテマ高地へ。17日、インドネシアのジャワ島へ向けて出発。22日、ジャカルタ着。バンドン、ジョグジャカルタ(ボロブドゥール遺跡を見学)、スラバヤを巡る。6月8日、福田が南ボルネオ(オランダ領)に向かう。北ボルネオ(英領)を目指す清水は、以降川端との行動となる。さて、清水はこの従軍で頻繁に博物館、植物園、動物園を訪れている。6月11日、スラバヤの動物園を見学した折には、極楽鳥、駝鳥、火喰い鳥、オラウータンに興味を持っているが、以前、カンボジアの動物園について「面白い樹木や変わった動物であるかを期待して行って見た」(注31)という感想を述べており、興味の方向がうかがえる。6月28日、広東に向かう川端と別れ、これ以降は別行動となる。しばらく清水はボルネオ行きの飛行機、船舶の手配に苦心するが、シンガポールで待機してセレター軍港などを描き、結局ボルネオのクチンに上陸できたのは7月27日であった。しかし南方従軍において、後に訪れるコタ・キナバルと共に、最も熱心にスケッチしたのは、このクチンからレジャン河を遡行したレブ州であったと思われる。州長官がこれまでの従軍で旧知になっていた千田少将であったということもあるだろうが、ダイヤ族の
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